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生活の愚痴など書く物じゃなし。と思いつつ…
バイト三つの内二つの勤務日数をそれぞれ増やさねばならず、俺の生活は石川遼くんのお尻の様に更にミチミチになりそうだ。 掛け持ちのデメリットが牙を剥く。 何と言おうか、人生習得成り難し。 されど今月貯蓄ゼロとはこれ如何に? 年金税金家賃保険金ケータイ代薬代他もろもろの面倒くさい生活費に、生きているだけで搾取される我が給料よ。 これでは本当に、生きているだけだ! と、こんなぼやきを繰り返しているだけではだめですね。 しかしこの生活に更に拍車をかける様に、最近は一日三食ラーメンだ。 帰りにスーパーの見切り品の天ぷらやコロッケを買って帰り、ラーメンのおかずにする。 無慈悲なくらい栄養も色取りも無い、寝起きのおっさんのキスの様なディナー。 炭水化物、炭水化物、たまにタンパク質。 そこで「いただきます」と言って箸を手にした瞬間、ふと涙がこぼれ落ちるならば、どんなに気持ちは報われるであろう。 しかし俺はいつからか、涙がほとんど出ない体質になってしまった。 真剣に自分を嘆いて泣こうとすると、どこかで礼儀知らずな俺がプーと吹き出して爆笑する。 集中出来ない… なのでただ、黙々とディナーを食す。 そんな生活もあってか、口の中に、タコの吸盤の様な巨大な口内炎が出来てしまった。 接客業なのに仕事中、会話がままならず。食事の時ですら、食べ物をまるで森ガールのように細かく、小さくちぎり、おちょぼ口で食べる。ならば優しい紳士に声をかけられるかと言うと決してそうでは無い。食事をがつがつ食べなければ、俺はウィスパーのCMとかに出れる気がする。 最近はスペイン、ハンガリーやロシアなんかのジプシー音楽をよく聴いている。 それをバイト先の人に話したら、パコ・デ・ルシアというフラメンコギターの人のCDを勧められて、聴いた。 おおこれはまさに今、俺が聴くべき音楽だ!としびれた。 今必要なのは、苦しい生活をねぎらうお慰みソングではなく、かと言って全て見ないフリをして踊り狂うダンスミュージックでもなく、諸悪を世の中に当てつけて「ファック!」と簡易に済ますようなロックでもない。 必要なのは、困窮した今の状態をしっかりと見据えつつ、前向きに、前向きに、されど悲哀を高らかに訴えるような魂の音楽だ。 フラメンコのリズムってのは何ですか、素晴らしく胸が燃えますね。 昨日は夜中に思わず、競歩の様なスピードで外に飛び出した。怯えたノラ猫たちがいっせいに逃げる。 人生は素晴らしいはずだ。 荻窪、高円寺、中野とアンダーグラウンドな生活から四ッ谷辺りでぐぐぐっと地上に浮上して、すがすがしい緑の空気に満たされる。そんな、丸ノ内線の様な自分でありたい。 とすれば、更なる先は国会議員という事か?それもまた良いだろう。 どうか黒塗りの街宣車に乗っている方でない事を祈る。 ではシナリオを書くのでさようなら。 画像は折口信夫の本からの転載。カッパだよ。 ![]() # by kan328328 | 2010-04-30 01:24
![]() シナリオ執筆の合間にブログを書く。たまには思考をアウトプットしたい。手軽であれば良い。 この二年間、俺は読書の鬼と化していた。 いろいろ考えた。 いろいろ考えた事の、細かいニュアンスは推敲を重ねてしっかりと伝えたいし、途中から幾つかに分岐させて語りたいテーマなんかもたくさんある。それにしても時間が無いので簡単に書く。 「時間が無い」って、何だかカッコイイ…。 日々、宗教について考えている。 俺は新たな「宗教解釈」が欲しくて、たまらない。 私達の普段の生活は、葬式墓参りで仏様に手を合わせて、初詣神前式で神様に柏手打って、生活態度は孔子様から教わって、クリスマスにはイエス様そっちのけでセックスして、かなりお目出度い顔して4〜5カ国の神様の間を行き来してます。 そんな信仰心の怠惰も、何十年も続くと自然と迫がついて「習わし」やら「しきたり」やら大層な名前がついて堂々とまかり通っていますね。 神様は涙も涸れきって、ほとほと呆れていますね。 でも、こんな事は世間では常に自嘲気味に語られている事柄だし、良いんです。日本人だ。 今から創造論を信じろと言われても無理で、キリストのしるし(奇蹟)ですら一から十まで信じる事は出来ない。 しかし奇蹟を求めずとも私の教えを信じるのだ、とキリストは説いている。 どうだろう、諸外国の様々な教義の中から、ぶっ飛んでる奇蹟のエピソードや、怪しい教祖誕生秘話なんかを思い切って削除してみる。そして、人の生きる術として普遍的であろう箇所だけをピックアップして、コラージュして、新たな人間の道徳心、倫理観の基準を作る。 それを選ぶ基準は、人間の中に本来備わっているはずの「理性」。 しかし、宗教無しで育った理性というのは人によってかなりムラがあるはずなので、そこは多数決で無難な方を取る。じゃんけん? とにかく相互の理性の擦り合わせを行う。でもそれがスムーズに出来る位なら戦争なんか起きない。 そしてなんだかんだで出来上がる新たな教本。そこに書かれてあるのは、科学に反発することも無く、信仰心を逆に薄めてしまう様な浮世離れしたエピソードも無い、思想のツギハギにツギハギを重ねて強固に縫い上げた、正に現代人にとっての生きる道である。宗教がベースなだけに哲学より情緒もある。 これは、少し外道な発言かも知れないのでもうやめます。 話を変えて、僕の周りには精神的なストレス等で心療内科に通っている、又は通っていたという友達が何故かとても多い。彼らは皆、真面目に「私」と向き合い、そして悩んでいる。話を聞いていると共鳴する所が多い。辛いだろうけれど、そういう姿勢自体は「良いじゃないか!」という事をわかって欲しい。 でも、各々が非常に真剣に悩んでいるというのに、なかなか良い言葉をかけてやれぬ、己のマカロンレベルの脳味噌がもどかしい。まだマカロンの方がOLに人気がある。 ◯夜中だけれど、これから洗濯します。隣の阪本さんいつもごめんなさい。 ◯春なので毎晩、喘息の発作が辛いです。 ◯国分寺の改札を出て歩いていると、たまにホームレスに話しかけられます。フレンド? ◯自身の力ではどうにもならぬ、スタッフのスケジュール等の都合によって、もう二年も映画の編集に入れていない。あまりのフラストレーションに何度も思い詰めたけれど、大罪を犯してしまおうかと本気で考えた事もあったけれど、精神修養としての読書が自身を救ってくれた。 ◯この間、親友の関口光太郎の結婚式があった。 友人が結婚するってのは感慨深いものがある。マイケルジャクソンが好きな新郎で、新婦と二人でマイケルダンスを披露してくれた。二人して何度も練習を重ねた様で、新婦の切れの良いステップに、新郎も負けじと腰を振る。最高に幸せな式であった。 俺は彼に、50号くらいの大きな絵画をプレゼントした。 この二ヶ月間、バイト以外の時間を使ってこつこつと描いてきたやつだ。 彼はとても喜んでくれたようで、何日かして、何の前触れも無く家にやって来た。 俺が一度、彼の前で「電子辞書が欲しいんだ」と話したのを覚えていて、絵のお返しとして新品の電子辞書を購入して、わざわざ家まで届けに来てくれたのだ。 しかしその時既に俺は、自分で電子辞書を購入していたのだった。 返品をしに、彼はとぼとぼと帰って行った。 悪い事をした。 その情熱だけで十分嬉しいのだ。 絵もよく描けているので写真を載せたいけれど、デジカメが壊れていて写りが悪かった、なので載せない。想像してくれ。 ◯自分はやっぱり、固いマッチョの男が好きだ。 長い鉄の棒を地面と垂直に立てます。それをマッチョに両腕でぐっと抱きしめてもらい、体の緊張状態を維持したまま、頭上から水飴を垂らして全身コーティングする。冷蔵室で冷やして固めて売ったら、これはもう絶対人気出ます。コーラ味です。 ◯最近の読み物はと言うと、聖書関係の詩集やら解読書ばかりである。小説も読むには読むが、気分はすっかりストーリー性から離れてしまった。 それ以外ではやはり釈迢空が熱い。 釈迢空! 釈迢空! 折口信夫は最高の歌人だ。 古本で全集を買ってしまいました。 こんな素晴らしい芸術家の全集に、500円の値を付ける愚か者よ、どうもありがとう。 ◯最近、人に過去の思い出を話す機会あり。 10代半ば頃に顔面の大きなおっさん(心は女)にフェラチオされた経験を笑いを交えつつ話した。しかし夢で当時の記憶がまざまざと甦り、おっさん時折現れては、同じ行為をしてどこかに消えて行く。もう、来ないでください・・・ ◯タバコをやめて早二年。今思えば、何であんな紙くずに唇を奪われていたのか不明。しかしコーヒーを飲む量が増えた。毎日最低でも5〜6杯は飲んでいる。飲み過ぎると動悸止まらず、パシパシと目は冴え、軽い頭痛とともに感情が高ぶってくる。これは恋だ。そうだろう。 ◯またまた喘息の話だが、俺はこの病気を本気で治したいと思っている。 ステロイドを毎日吸入する生活とは、いい加減おさらばしたいものです。 見事完治させた暁には、ぜひとも挑戦してみたい事があります。 それはマラソンです。俺はー!走りたいのだー!うおー! 中学の半ばまで陸上、空手、水泳と様々なスポーツで体を動かしてきたけれど、結局この病気は治りませんでした。 僕は普段の生活の中で、唐突に、理由も無く走り出したくなる事が、頻繁にあります。 むしろ何ら理由の無い目的にこそ、ひたすら労力を注ぎ込みたくなるのですが。 しかし少しでも駆け出すと、すぐに肺が圧迫されたような状態になり、呼吸困難で動けなくなります。一度発作が起きてしまった後では、完全に鎮まるまでかなりの時間を要します。 まず、冷たい水を飲みます。 そして風通しの良い場所におずおずと移動して、上半身起こし気味の体勢で、鎮座します。 一人胸をさすったり、泣き言をぼやいてみたり、スズメのさえずりを聞いたりして、発作の嵐が過ぎるのを、一時間近く待ち続けます。 こんな面倒くさい奴はランナー失格ですね。 ホノルルマラソンなんか出場した日には、あんたはポカリでも飲んで寝てろ、ってつまみ出されるのがオチです。 腹筋を鍛え、カーペットには近寄らず、春と秋にはマスクをし、薬を飲みつつ、頑張ります! ◯罰当たりなコラージュを作ったので上に載せました。一昨年の冬頃?バイト先にて。早めに消します。 では、さようなら。 # by kan328328 | 2010-04-15 03:55
やっぱ気合いだ。
それしかない。 バイト渡り歩いてへとへと疲れて夜に帰宅して横になった。 筋肉痛で体も動かず猛烈な睡魔に襲われたので、いつものごとく眠りに身を任せようかと思ったが試しに反発した。「糞!糞!」と己を罵りつつ体を起こし、風呂に入って歯を磨く事が出来た。まだいける気がしたので洗い物をした。精神力が体力を補い始めたのだ。まだまだいける気がしたのでデッサンを描いた。描き始めたら夢中になってしまい、気付くと夜明けだった。小さな絵が一枚完成した。人は気合いでどうにでもなると実感した。次の日バイト寝坊した。 ![]() 折口信夫(釈迢空)「追悲荒年歌」反歌 「いとけなくて 我は見にしか。野山にも 交らひ浅き若うどの 群れ なかなかに 鳥けだものは死なずして、餌ばみ乏しき山に 声する 家に養ふものは しづかになりにけり。馬すら あしを踏むこともなし」 # by kan328328 | 2010-03-05 06:08
![]() 前回の日記のyukayamazaki710、asako666666のコメントに対する返答を書いたんだけど、やたら長くなってしまったので新たに日記に記すよ。 「個人」という単位には恐らく家族や友達というのも含められているよ。 ルカ6章32〜36節 「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善い事をしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じ事をしている。返してもらう事を当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人でさえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善い事をし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい。」 なので、「母親が子供を想う気持ち」というのも、自己犠牲という事にはならないと思う。 誰しも我が子に一番思いをかけるのは当然であって、子供を愛する事それ自体、母親にとってはむしろ幸福の条件の一つだろうから。 「自分の必要最小限の人間関係さえ幸福が保証されれば、後は他人が不幸になろうが関係ない」、という図式が始まるのはまず「親と子」の関係からかと。イエスの「隣人を愛せ」というのは、狭い範囲でしか愛情交換が為されない事が、結果的に差別や偏見等の排他的感情を生む事になる、その事を危惧しているのだと思う。 イエスは群衆に向かって演説をしている最中、弟子達から自分の母親マリアが来ている事を知らされ「私の母親とは誰か。」と答えた。「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」と言う。天の父の御心とはつまり律法(旧約聖書)の教えだろうけど。 マタイ10章34〜36 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人はその父に、娘は母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。」 字のままに解釈するとかなり横暴な印象を受けるけれど、これは勿論このままの解釈ではないと思う。 聖書は読めば読むほど理解が深まってくる(その理解が合っているかどうかはわからない)ようで、まだまだ自分の稚拙な見解は書くまいと思ったんだけれど。 新約聖書はひとえにイエス・キリストの慈悲深さ、尊さにかかっていると思う。人間というものにしっかり寄り添った、厳かで愛情深い教えだ。 イエスは弱者に、罪人に、病人に常に憐れみ深く、信者に求めている物は一途な信仰心と、教えに従った慎み深い生活態度であって、一時期話題になったアニメから教義をパクった様な一連の成金新興宗教が、本当に下衆だという事がよくわかる。しかし、キリスト教自体も現在に至るまでにかなり枝分かれしているので(教会から公認されていない団体も含め)、俺個人としては、威丈高な大聖堂に行くよりも、未だ自分の教えを認めてもらえず、異端者扱いされ、笑われ、蔑まれ、虐げられながらも、決して説教を止める事のなかったイエスの発した言葉に、耳を傾けていたい。 画像はダヴィンチの描いた洗礼者ヨハネ。 # by kan328328 | 2010-02-02 06:21
![]() バイト。 飯。 風呂。 読書。 昏睡。 バイト。 飯。 風呂。 読書。 昏睡。 あー、今週も変化の無い一週間だった。 夜には新約聖書のテープを聴き、眠りいる。俺はヨハネの福音書が好きだ。 そこには、使徒達の足を自ら洗ってやるイエス、語るべき事を終えて使徒達を「友」と呼ぶイエス、ラザロの死に涙を流すイエスの姿がある。これらのくだりをただ感傷的な解釈で済ますのはお門違いだろうけど、そこに溢れているのはやはり、イエス・キリストの人間としての慈悲深さだ。マタイやマルコの福音書には無い、イエスの温かな息遣いだ。 イエスは、個人単位での幸福の追求を否定する。犠牲と奉仕の姿勢を求める。善行も人の見てない所で行うように言う。公衆の面前で行われた善行はその時点で既に報われている。 ところで、物質的、経済的な貧しさと、清い魂とは密接な関係にあると思うのだが、どうか。これは日頃の精神生活と労働生活を両立出来ている人ならば、自ずと実感する所と思う。しかし両立ままならず、仕事疲れにばかり傾いていくとその先にあるのは「思考停止」、「考える事の放棄」だ。 今読んでいるシモーヌ・ヴェイユの「工場日記」について書きたかったのだが、とりあえず、でも、くどくど俺の下らない見解を述べるのはやめよう。百年早い。こんな一般市民にまで発言権を与えてしまうネットが憎い。自己顕示欲を細切れにしてブログ上に散布。 働け働け、とにかく家賃と住民税滞納するな。普段の食費をもっと削れ。 そして仕事の合間をぬって、たくさん考えて、感じて、実行するのだ。つーか早く映画完成させろ。 携帯代が毎月結構取られる。実際アラームしか使ってないのに。 もっと安い契約とかあるのかな?何とか割?とか、得々ニコニコ?プランとか。よくわからない。 時間も惜しい。 今日から一週間ばかし男友達が居候する。油絵の大学受験を控えているのだ。応援するぜ! # by kan328328 | 2010-01-30 05:47
アルバイトを三つ掛け持ちする事で、社会に対して何がしか義務を果たした気になっているのが現状だ。
仕事終わりの肉体疲労に充足感を得、眠りにつく。そんな充足感などまやかしだぞ、と、どこか深い所から囁きが聞こえるが、もはや知らぬ。 しかし一体、何をしているのだ。情けなく思う。 自覚している以上に仕事覚えが悪い。稼いでいると言うより、お情けで払って貰っているような気分だ。俺にはやはり、ひたすらAにBをハンダ付けするコンベアの方が性に合っているのかと、ぼんやり暗くなる。仕事全体を俯瞰視出来る力を養わなくてはならない。そう何年も思い続けてきたのに。 自部屋のガスストーブは、温かい。温風はゆるゆると全身をくるみ、そんな俺の思考を眠りの彼方へ奪い去る。 気づくと朝だ。 仕事の無い時間、俺は何か制作をする訳でもなく、ただ、ひたすら読書だ。 それも、自分に必要だと思われる本を、秩序立てて順に吸収していくような正道の読書方法ではなく、恐ろしく刹那的な、雑種で、ちゃらんぽらんで気まぐれで、その癖、常に揺ぎ無い「答え」を欲しているといった、たらたらに甘えきった「乱読」に過ぎない。 このいつ果てるとも無い、暗い読書経験が、将来一体何になる。 今はただただ、諸外国の文豪達が築き上げた「思想」という名の堅牢な城を、ただ、ポカンと口を開けて見上げているに過ぎない。 昔から、読書というのはどうも、行動力と反比例してしまう気がして、読後に妙な後ろめたさが残る。 衝動のまま、両足に業務用ポリバケツを縛り付けてアメ横を闊歩していた自分が、遠い昔のようだ。 以下、全くまとまりなし。 しかし世の中騒がしい。自分自身をさも、今世紀に一度の逸材に見せかけるようなエゴの厚塗りはもう、満腹である。皆好き勝手にいろんな色で塗りたくったもんだから、キャンバスが真っ黒になってしまった。 「人間」というテーマとがっぷりよつで組み合うには、自身は限りなく無私の状態に近づかないといけないのではないか。曇ったレンズではピンボケ写真しか写らない。 ちっぽけな自我などさっさと犠牲にして、世のため人のために尽くす事が、余程賢明な生き方な気がする。するのに・・・成らぬ。 作家の島尾敏雄は、自分の文章を「目を開いている自分」と、「目を閉じている自分」との二つに分けて書いていた。目を閉じている時は「夢日記」を書いた。目を開いている時は戦時中の体験記を書いた。内面の変化を敏感に感受するのも、目の前で起こる事象を克明に描き出すのも、どちらも島尾敏雄にとっては同じ位重要な視点だったのだろう。 こんな屁理屈をちまちま書くのに一時間半も使ってしまった。時間は限りがあるってのに全く、泣けてくるね。 真理など、無私などもういいではないか。 「バター醤油って旨い」とか、「ハスの実ってキモい」とか、その程度の確信で世の中十分生きていける。 下の写真は、綺麗だね、ハナビシソウ。 ![]() # by kan328328 | 2010-01-09 01:51
人の夢の話を聞くのが好きだ。
夢と言っても無論、睡眠中に見る夢の方。 将来の目標とかの夢の話は、聞きたくもない。 そういった事はなるべく人には語らずに、黙って野望に燃えて頂きたい。 神保町の古本屋にて島尾敏雄の夢日記を見つけ、購入。しばらく歩くとジョナサン・ボロフスキーの夢日記も見つけたので購入。そんでまた横尾忠則の夢日記まで見つけたので購入。 俺は何をこんなに必死になって、人の夢日記を読みあさっているのだろう? 周りの友達とかでもし夢日記をつけている人がいたら、ぜひ読ませて欲しい。 夢について。 芸術家だったり、下手に文化知識が豊富な人よりも、そういう事柄とは普段縁のない生活を送っている人の方が、聞いていて面白い。 平凡さと際どい不条理とのギャップというか、その振り幅が大きければ大きいほど、魅力的な人に思えて来る。 言葉について。 自分自身を語り慣れない人が、その時の思いを言い表すのに最も適切であろう言葉をゆっくり、ゆっくりと丁寧に選んで、辿々しく繋げながら、話し始める。 そんな言葉が、一番美しく思う。 自分も夢を見たくなってきたので、寝ます。 ![]() # by kan328328 | 2009-12-30 03:59
こうやって、ちょくちょく黒髪の女性歌手を挙げていきたいですね。
この曲の藤圭子は、引きずる女性の代表という印象を受けます。土下座して、過去の軽薄な行動を謝罪したくなります。 # by kan328328 | 2009-12-06 23:35
紅白、ちあきなおみの衝撃パフォーマンス。 豊かな黒髪を持つ女性は素敵だ。情念深い女も素敵だ。北の地の果てまで追いかけられて、岸壁でグッサリ刺されてしまいたい、そんな欲求に駆られる。 楽曲提供は友川かずきだ。 良くないはずがない。 # by kan328328 | 2009-12-06 22:55
![]() 自然主義文学の王道である田山花袋の蒲団を勧めてすぐに、泉鏡花の本を勧めるなんて、その道の人から言わせてみれば無思想のバカも良い所でしょうが、面白いと言うだけで何でも受け入れてしまう自分を否めません。文化継承の流れを無視する世代らしいです。 でも鏡花は自分にとって特別な存在なのです。彼は活動当時、自然主義文学が台頭してくるのを毛嫌いして、文壇の流行とは真逆の場所にいた人です。その文章は、読者の意識をうつらうつらと彼岸まで連れて行ってくれる、とっておきの秘薬です。 ある山奥において、遠い遠い昔に確立されていた、怖い世界。あまりに古い記憶に、思い出そうとすると頭に鈍痛を感じ、まぶたもぼったりと重い。帰って来るのにえらい時間がかかる。 どの作品も素晴らしいけど「春昼・春昼後刻」は絶品だ。 冒頭からして凄いのだ。とろけかえりそうな白日の静けさは、一線を超えてしまった狂人の心境の様に、穏やかだ。 このブログはいつの間にか俺の好きな作品紹介コーナーに変化してしまったようだ。 そろそろ自分の事も書きたい。 イラストを添えて夢日記を書くのが、ずっと俺の日課になっている。 俺の夢は結構面白いので、会う人会う人につい話してしまうが、世間一般的には「人の夢の話ほど聞いていてつまらない物はない」らしい。でも自分で言うのもなんだが、俺の見る夢には人を楽しませる何かがある。気がする。 長い事日記を書いているので、夢の中でやり取りされた会話、光景、建物の配置、人物像、話の展開、色彩や味なんかまで、事細かく鮮明に覚えている。目が覚めて記憶の糸を手繰っていくと、この辺りから夢を見始めたな、というスタート地点まで遡る事が出来る。 あくまで夢に忠実に、何ら改編や誇張を交える事無く(夢という物自体、誇張の産物ではあるけれど)記録する。俺の夢日記は、一つ一つが非常に長い。 最近見て面白かった夢から、一部を紹介。 〜10月19日の夢日記からの一部〜 ……実家の六畳間。 そこに、中学時代の女子が四人遊びに来ている。皆、ほとんど衣服を着けていない。 彼女達の前で、タイヤの付いていないマウンテンバイクにまたがっている俺は、どうにかして格好良い所を見せつけようと、「ブルルン、ブルルン!」とエンジンを吹かす口真似をするが、巻き舌がうまく出来ず、焦っている。 「ブルルン!」と言おうとすると、舌が歯に引っかかるのだ。 女子は皆、バイクが発進するのを、今か今かと待ちわびている様に見える。 その期待感が増していく程、プレッシャーから舌が空回りしてしまい、もどかしい。俺は恥ずかしさのあまり、声もどんどん小さくなって、仕舞いにはうつむいてしまう。 すると、俺と仲の良かった男子のAが、俺をフォローするつもりで、 「三宅君は最近、舌の手術をしたせいで巻き舌が上手く出来ないんだよー!!」と、大声で嘘の説明をし始める。 そして、Aが代わりに「ブルルン!ブルルン!」とうなり出す。 その友情に鼓舞されて、俺はAの巻き舌の音に合わせて、女子の前をマウンテンバイクで颯爽と走り回る。 走り回っている最中、俺の頭の中はAの優しさに感謝する気持ちと同時に、 「手術までするなんて、俺の舌はそんなに悪かったのか…」と新たな不安に怯えている。 # by kan328328 | 2009-10-30 15:39
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