関口光太郎君について

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今年六月に産まれる予定の俺の赤ん坊。
エコーを確認した所、おそらく男の子である。

それにしても、第一子ってのはこんなにワクワクするものなのか!と自分でも驚いている。
俺に子供を可愛がる心があったなんて…しかもまだ産まれてないのに!
だってお腹をポコポコ蹴るのだ!早く出せコラと言わんばかりの勢いで。
そんな時、俺はお腹に口を当てて、
「うちには召使いがいてね…」だの、「今日は豪勢なフルコースを食べました」だの、
とりあえずウソっぱちを話しかけて、子供が産まれてくる楽しみを増やそうとしている。
で、まあ、そんな昂る気持ちをおさえつつ、今夜は関口光太郎という男について語ろうと思う。

先週の日曜日、現代美術家の関口光太郎君と奥さんの希望さんが、旅行土産を携えてわが家に遊びに来た。
俺は奥さんとインド人の仮装をして二人を出迎えた。
前日から部屋をカラフルに飾り、手作りの料理を何品も準備して。
なぜそこまでするかというと、彼は俺にとって「特別」な存在だからだ。

関口君とは予備校時代からの付き合いだ。
同じ年齢であり、同じ地元であり、同じ美術大学、同じ専攻を出て、今に至る。
彼は俺の人生に最も影響を与えた人であり、親友である。
大学時代は、金魚のフンのようにいつも彼について回っていた。
関口君という大きな庇護の元で、奇抜な持論と表現に遊ばせてもらっていた。
ライバル心を煽られながら(煽ってもらいながら)、制作を競い合った。
彼の存在に生かされていた部分があった。
自分でびっくりするくらい、俺は普通の人間だったから。
いつも励まされたし、自信が枯れきった時には豊潤な養分を注いでくれた。
そして大学三年に入る頃、彼はぐんぐん頭角を現し始めた。
巨大な新聞紙アートを次々とこさえ始めた。
彼の言動にも表情にも鬼気迫る物があり、下手に泣き言を言おうものならその場で食い殺されそうな殺気が漂っていた。彼は本当に殺そうとしていたのだと思う。
軟弱な美大生のメンタルに心から怒り、呆れ、辟易しきっていたのだ。
血が滴るような彼の巨大造形物が話題を呼び、その年の卒業生代表に選ばれて壇上に上がったかと思うと、三宅一生に見出されて一緒に展示をし、アラーキーに写真を撮られて、時の人となった。
俺は、彼と自分を比較して、自分の至らなさ、弱さ、小ささをとことん恥じた。
ちょっとタンマタンマと言って止めに入りたいくらい、猛烈な嫉妬に悶絶した。
もう、それはそれは目眩がするくらい嫉妬して、穴があったら入りたいむしろ穴になりたいというより穴だった。
彼は卒業後、芸術の道へは行かず、教師になる道を選んだ。教員資格を取って、本当に先生になってしまった。葛藤の末の決断、芸術ヤローどもへの見限りもあったろう。

別々の道を歩み始めてからというもの、俺は田舎のあぜ道で暴行されたまま、ぼんやり座りこんでいる女子高生のような気持ちでいる。
白昼堂々、目もくらむような陽射しの下で、関口光太郎に犯されたのだ。
彼は唐突に現れて、荒々しい腕力で私の体を揺らした。
そして懐からガムテープと新聞紙を取り出したかと思うと、たちまち10mに及ぶ巨塔を作り上げて、太陽のはるか先まで登って行ってしまった。
一体、何が起こったのだろうか?
乱れた着衣の前を直しつつ、私はぼんやりと自分の村に戻った。
村では相変わらず、男たちが車座になって議論に花を咲かせている。
「これはあえて言うけどさ」
「そんなの前から知ってるから」
「ああ、そのニュアンスね」
昨日までは、私もその中に混じって、インテリたちの交わす冷笑的な政治論、詩論、文化論、芸術論に、目を輝かせて聞き入っていた。たまに、拙い自分の意見が取り入れられたりすると、大人の仲間入りをしたような気になって嬉しくなったり。
私には、聞いた事も無い語彙を連発する男たちが、無条件に格好良く見えた。

それが今は、その光景を覚めた目で見つめている自分がいる。
「この男達は何も作る事もなく、何も残す事もなく、何の覚悟も責任も負わないまま、好き勝手に議論しながら死ぬのだろう」

男たちの一人が私に気づき、声をかけて来た。
「おい、感子。どうよ、俺たちのこのクリエイティブな会話は?」
私は返す言葉も無く、自分の家へと戻った。
座敷に上がり、ぐったりと横たえた私の胸の奥で、昼間の巨塔が生々しく蘇ってきた。
ぐんぐん膨張する、新聞紙の塔…。
外の男たちの会話が、みるみる遠のいて行く。
言葉の意味も、必要性も、もはや何も響いてこない。
その時、私は気づいた。
「ああ、これが不感症というやつなんだ…」と。

自称表現者という人間にはたくさん会って来た。
音楽、演劇、絵画、彫刻、映画、それはそれは多岐にわたって。
だけど、出会う人出会う人、顔にプロフィールを貼りつけた様な人ばかりだった。
手元に作品もろくに無いまま、履歴書作りだけは余念のない人。
あきらめの美学を説きにくる人。
制作道具ばかりどんどん増えていく人。
彼女に掻爬させた事を自慢する無頼派気取り。
度々金の無心に来て、それを断ると「ケチ、俗物」と罵った挙句、悪評を吹聴して周る人。
俺の創作物を何の許可も無く、自分の作品に使う人。
散々自分の制作を手伝わせて、こっちの頼みはことごとく断る人。

大学時代の自分だったなら、そういう相手にもちゃんと意見を述べていたかもしれない。
誰とだって真摯に向き合いたい、いずれは理解し合って、真剣な交友関係を築いていける、という俺なりの希望があったから。
でも今の俺は、相手の言動がどんなに間違っていようがひどかろうが、特に否定する気も起きない。
「そうだね。君が正しい」とただ、うなずくばかりだ。
「君の性格は○○だね」などとこっちが誤解されるような事があっても、全て「そうだね。その通りだよ」。
関口光太郎という、ある意味殿堂入りみたいな存在が心に宿ってしまった時から、俺の中で「友人」という物に対する欲求が満足してしまった感があるのだ。

他人への盲信は良くない。
危険だし、安直だし、まずこんなの怠惰だろう。
人ってのは変化するから美しい。
自分は判断される側にはまだいないので、こうやって人間同士を比較するような文章を書いてしまうし、自分を棚に上げているのがまた、悲しい。
ロックバンドの古株ファンがにわかファンを見下している時のような、周りから見たら「どっちもただの客じゃん」と感じるものに近い。
でも本当、関口君のような存在は二度と現れない。
彼という友人を得た充実感は決して安逸なものではなく、自分も見合った存在になりたいという焦りに近い。
ナベの底で、何年分もの承認欲求が煮詰まりまくっているような余裕の無さが、自分にはある。

なので今は、ハードルをどんどん上げていってくれる関口君に感謝しつつ、最近着手し始めた大作にぶつかっていくだけだ。
by kan328328 | 2013-02-13 01:38 | アート

美術作家・三宅感のブログです


by kan miyake
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