おもしろきこともなき世をおもしろく
2015年 03月 12日
その間何もしてなかったわけじゃなく、次の岡本太郎賞に向けて作品を作っていました。
平日は介護の仕事を掛け持ちしており、ちゃんと制作ができるのは土日しかありません。その休みを使ってチマチマ作り続けてきた作品が、ようやく形になってきました。
この作品を作り始めておよそ2年、色々なことがありました。
2年前の春にわとくんが産まれ、その半年後に奥さんのお父さんが亡くなりました。まだ65歳でした。あまりに突然のことで、奥さんもお義母さんも僕もほとんど実感を持てないまま、お通夜と告別式を終えました。生きている間にもっといろんな所へ一緒に出かけたかった、家族旅行にも行きたかったと、後悔することはたくさんあります。もうすぐ2歳になるわとくんの可愛さを見せてあげられないのも、本当に残念です。
お義父さんはとても多趣味な人でした。豆腐工場で工場長を務める一方で、休日には大好きなバイクを改造して友達とツーリングに行ったり、ジャズのレコード収集、アマチュア無線、居合斬り、映画鑑賞、園芸、UFO研究会にも所属していました。家に遊びに行くと庭の草むしりをしていたり、役所から許可を得てガードレールを切断!してフェンスを設置したりしていました。休日になると、ぼくと奥さんの住んでる貸家にわざわざ来てくれて、壊れたドアの修理や、手作りの棚を取り付けてくれました。とにかく手を休めるヒマもないくらい、常に何かに熱中している人でした。趣味というものがいかに人を生き生きとさせるか、作業に没頭するお義父さんの姿から、いろいろ教えてもらった気がします。
世の中には、人生に退屈していると言う人がたくさんいます。そのむなしさを紛らわすためにお酒を飲んだり、人の集まる場所を訪ね歩いたり、一日中テレビをながめたり、恋人の気持ちを束縛したり、ギャンブルや買い物に大金をつぎ込んだりします。何か新しい趣味を始めてみても、すぐに「これが何の役に立つの?」「何の意味があるの?」と自問してしまい、なかなか続きません。「人に役立ち、意味のあることしか重要ではない」という考えは、突き詰めていくとただの虚無に突き当たるのではないでしょうか。
人生が退屈なのはわかった。ではどうするか?という所から、全ての文化が始まったんだと思います。そして文化というのはおそらく、ほとんど役に立たないものです。むしろ実用的であってはならないものかも知れません。一見ムダで無意味なモノを愛する気持ちは、そのままその人の心の大きさ、豊かさに反映されている気がします。そういう意味でお義父さんは、とても好奇心旺盛で、人生を楽しむ達人であり、器の大きな人でした。僕のようにあれもこれもとやる事が定まらない男のことも、温かく見守ってくれていました。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
高杉晋作が遺したこの句が、生活の様々な場面でふと思い浮かぶことがあります。
自分もこれから年齢を重ねるごとに、ますます色々なことに興味が増していくだろう、という明るい予感があります。
by kan328328
| 2015-03-12 08:25
| アート