青空があるでしょう
2015年 12月 07日

今回、岡本太郎現代芸術賞に入選した私の作品は、100円ショップなどの紙粘土で作った壁画です。
小学生がやっているような事と、まったく変わらぬ手法です。いや、今の小学生はもっとハイテクな物作りをしているでしょう。
自分にとっては、岡本太郎賞に応募するのも、紙粘土で壁画を作るというのも、すべて初めての試みです。
作品の大きさは、コンペの規定サイズに目一杯入る形にしました。
岡本太郎賞に応募するためだけに作り上げた作品です。
平日は介護の仕事があるため、土日しか制作にあてられず、結局完成までにほぼ3年を要してしまいました。
周りの人たちからは、「入選したから良かったものの、もし落ちていたらどうしてたの?」と、よく聞かれますが、私にもあまり想像できません。
多分、かなり落ち込んでいたでしょう。
そして「これ全部自分で作ったの?」とも、よく聞かれます。
全部自分で作りました。
私の中では、「美術作品は自分で作るのがあたりまえ」という意識が未だにあるのですが、現代アートの世界でそれを口にするのはかなり、恥ずかしいことなんだそうです。いまは美術作品も、作家が造形屋さんにアイデアとお金だけ出して、発注する時代です。というか昔からそうみたいです。
「自分で作れる物の限界が、その人の等身大なんじゃないの?コンセプトばかり最先端を行って、作品はお金を払って業者に作ってもらって、そうやって出来上がった物に、一体どれほどの思いが込められているの?」
という、私にとってごく自然な疑問が頭にうかびます。
するともう一人の私が、得意げに反論してきます。
「古今東西、著名なアーティストは昔からみーんな発注だよ。いまはアマチュアだってお金さえあれば発注しているし、お前みたいにそうやってハンドメイドにこだわるのって古い日本人の悪習だよね。やたら自分の手技を見せつけたがるというか、「手作りにこそ心が宿る」とか本気で思い込んでる前時代的人間というか。そういう化石みたいな精神論にすがってるから、まっ先に資本主義社会から取り残されるんだよ。そもそも、お前のその壁画作品に使った絵の具や紙粘土だって、元はどこかの業者が作った物じゃないの?誰かが既に作った材料を、お前が金払って購入して制作に使用して、自分の作品って言ってるだけじゃん。その事と、金払って美術作品を発注して自分の作品と名のる事に、何の違いがあるの?」
たしかに、手作りにこだわるっていうのは、単なる作家のエゴなのかも知れません。
作品を見る人からすれば、どれが手作りで、どれが発注品かなんてわからないでしょう。
ていうか、そこはあまり重要ではないのでしょう。重要なのは、作品で何が語られているか、なのですから。
こんなことでいちいち腐っていても、しょうがないんです。
私が今まで心を動かされてきた作品は、作家の存在を間近に感じるような、熱のある物ばかりなのだから、自分も黙ってまた制作に励めばいいんです。
よし、がんばろう!
by kan328328
| 2015-12-07 07:59
| アート