みちのく人生

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もう年末の話になるが、書きたかったので。

岡本太郎美術館への搬入準備に追われている頃、美術家の関口光太郎くんからメールが来た。
「一緒に、みちのくプロレスを観に行かないか?」という。
俺は、関口くんと一緒に出かけた事がほとんどない。
学生の頃、キャンパス内ではよく行動を共にしていたものの、いったん学外に出てしまうと、おたがいに全く連絡を取らない。じつに奇妙な関係だった。
そんな関口くんが、プロレスを観に行こうという。
彼は昔から、無類のプロレスファンである。
バッグの中にいつもプロレス雑誌を忍ばせ、少しでも時間が空こうものならすぐにそれを引っ張り出して、黙々と読んでいた。
しかし、プロレスはもちろんの事、スポーツ全般にまったく興味がない俺に、一体どんな意図があるんだろう?と思いつつ、俺は承諾した。

開催日当日、待ち合わせ場所である後楽園駅の改札を出るとすぐに、文庫本片手にたたずむ関口くんの姿が目に入った。
彼は高身長だ。2m近くあるんじゃないか。前回会ったときより、さらに背が伸びたように感じた。
近づいてくる俺に気づいた関口君は、開口一番、
「三宅さん、背伸びた?」と聞いてきた。
俺は驚いた。二人して同じ印象を持つなんて…。
30を過ぎた二人だけど、まだまだ生育途中にあるという事なのか。
あいさつもそこそこに、会場へと向かう。

ちょうど東京ドームではEXILEのライブが開催されているらしく、外通路にはキラキラしたファンたちが溢れていた。EXILE的要素が微塵もない二人は、その横をスルーして後楽園ホールに入った。
受付でチケットを二枚手渡し、通路に入るとすぐに異様な熱気に包まれた。
せまい!そして男ばかりだ!
通路を埋めつくすプロレスファンたちは、総じて男性率が高く、無口ではあるが、穏やかな殺気を漂わせている人が多かった気がする。その奥で、ムキムキのお兄さんたちが物販を売っていた。
テレビで観るようなマッチョな肉体が、目の前にずらりと並んでいる。熱い!
Tシャツ、パンフレット、ぬいぐるみ、タオル、ステッカー。グッズのデザインまで熱い!でも、ちょっと可愛い。
俺は「これがプロレスというものか…」と、試合前からすっかり圧倒されてしまった。

会場に入り、自分たちの座席番号を確認する。なぜか連番ではなく、席を一つ挟んだ番号だった。
座席の方に行って見ると、ちょうど二人の間の席に、腕組みをしてじっとリングを睨むお兄さんが座っている。
関口くんが彼に近づき、
「あの、もし良ければ席を交換して頂けないでしょうか…?」
とお願いすると、
「お断りします。この席はちょうどリングのど真ん中ですから」
と言ってビシッ!と差し示すお兄さんの指先は、ちょうどリングの中心線上にあった。
「ああ、この人は本気だ…」
と、急にプロレス初体験のわが身を恥じ、俺はおずおずと席に着いた。
さっき売店で購入したファイターチキンとレモンサワーを遠慮がちに口に運んでいると、両サイドからイカツい顔をした気仙沼二郎とKen45°が入場して来て、会場にゴングが鳴り響いた。
がっちり組み合う剛健な2つの肉体、もつれ合い、次々に決まる技の数々。
思わず、見ているこちらも前のめりになって「おー!」とか「うわー!」とか、感嘆の声を上げる。
「プロレスってこんなに真剣なのか…」と、にわかに緊張してくる俺。
ところが、試合が変わった途端、リング上の空気までガラリと一変する。

そこで繰り広げられた光景を、どう表現したらいいだろう。
調子に乗り過ぎた子供のように、ピュアで、バカバカしくて、時おり周りをヒヤっとさせる過剰さと、イタズラ心に満ちた空間が、そこにはあった。
プロレス知識皆無の俺がこんなこと言っていいのかわからないけど、とにかくみんな、愛らしいのだ。

羽交い締めにされ、むき出しになった尻に顔を押し付けられるレスラー。
ロープのすき間をクルクルと回転する剣舞のフットワークの軽さ。
女子プロレスラー・ヤッペーマン3号の、マスクをしていても匂ってくる色っぽさと、無邪気さ。
49歳とは思えない、完璧にパンプアップされた肉体で、器用にロープをつたい歩く新崎人生。
カルト教団の紫マントをまとい、ロンゲに頭頂部坊主という出で立ちの双子・バラモン兄弟の凶悪さ。かと思えば、会場の隅まで聞こえるよう、絶妙なタイミングで丁寧に毒づく二人の、その生真面目さ。
ママチャリのカゴから落下するE.T。
スターウォーズのヨーダになりきって膝歩きをしていたのに、急に立ち上がってただのおっさんになるレスラー。
みんなで念力をかけてスーパーマンの身動きを取れなくしようと励むカルト教団。
空中を飛び交うFRPのイルカ。
観客の顔にぶち当たる工事用のコーンバー。
そして、極めつけは何と言っても、ザ・グレート・サスケの体を張ったショーだ。
リングの床板をまるごと外し、むき出しになった鉄骨におもいきり叩きつけられるザ・グレート・サスケ。
周りの制止を振り切り、大きな樽を頭にかぶったまま、鉄骨目がけて一回転ダイブするザ・グレート・サスケ。
もうやめてくれ、ええ!?そこまでする!?うそ、死んじゃうよ!首の骨折れるよ!!

俺の心臓は始終バクバクしっぱなしだった。
とにかく、とことん「やり過ぎる」のだ。
これはただの先入観かもしれないが、俺は「みちのくプロレス」という興行の背景に、しっかりと息づいている「東北」を見た気がしたのだ。
「津軽」だったか、太宰治のエッセイで、
「東北の人間ってのは不器用ではあるが、とても情深い。来客に対するサービス精神たるや、尋常ではない。あれもこれも出してあげようと酒やらつまみやら探しに家中右往左往して、柱に頭をぶつけ、果ては自分の命すら投げ出してしまうのかと思う程だ。そしてその過剰な愛情表現ゆえに、かえって来客を困惑させてしまう。」という趣旨の事を書いていた。
なんだかそういう、ぎこちなくも温かい愛を受け取ったようで、俺はうれし恥ずかしい気持ちでいっぱいになったのだ。
不器用だけど真剣勝負、その胸に迫ってくる感じは、芸人で言うと江頭2:50あたりだろうか。そういえば関口くんはエガちゃんのファンでもあったな。
プロレスという、虚構の中からリアリティーを浮かび上がらせる手法は、まるでホドロフスキーか寺山修司の映画を観ているようだった。
そして会場のファンが一体になって、応援したり、野次ったり、あおったり、大笑いしたりして、目の前で行われているショーを全力で応援している。
試合を観ながら俺は、関口くんに対して持っていた学生時代からの疑問が、一つとけた気がした。

大学時代の関口くんは、他人の生き様に底流する「ドラマ」に気づくプロだった。
はたから見ればつまらない、退屈とも思える人サマの日常から、次々と「ドラマ」を汲み取るのだ。
「あの人ホントは悔しいねん。自分もあきらめた過去があんねん。」
「あの子みたいに子供時代が辛いとな、わざわざ芸術にまで暗いものを見たくないねん。」
と、一人一人のバイオグラフィーをしっかり踏まえた上で発言するのだった。
人の「背中」をよく見ているのだ。
俺は「どうして赤の他人にまで、そういう視点を持つことが出来るのだろう?」と不思議でしょうがなかった。
どこで培ったのかわからないその能力が、ちょっとうらやましかった。

なにげない一言やしぐさ、行動の一つ一つでさえ、その人の過去の体験からきっと出てきている。いくら表情を繕って隠したところで、にじみ出てしまう物があるのかも知れない。
昔からスポーツに興味が無かった俺は、「勝負事=ドラマ」に対するアンテナが鈍かったのだ。
どんな人であれ、表面上からはうかがい知る事のできないドラマを、一つや二つは背負っているんだ、ということ。
それを関口くんは、プロレスから学んだんじゃないか?

スポーツの中で繰り広げられるのは、選手同士のプライドのぶつかりあいや挫折、風やら天候やらを味方にする運、ニガテな対戦相手にぶつかる不運、試合に勝って勝負に負けるという奥深さ、何度でも立ち向かう姿や、引き際を知って引退する姿のこころよさだ。
それはよく目をこらしてみれば、自分の実人生の中にも、うすーく混じっているエッセンスだ。
誰しもが自分のドラマの中で生きていて、みんなが主役を演じている。
でも、あともうちょっとだけドラマチックに生きたいと望むなら、それはやっぱり自分自身でつむいで行かないことには何も始まらない。
そんなあたりまえの事に気づかず、俺は大学卒業してからの10年間、手近な言葉で自分をなぐさめたり、自分を正当化するために他人をけなしたり、思うように進まない映画制作の同情をひたすら乞うたりして、いたずらに時を過ごしてきてしまった。
どう自分をごまかしたところで、いずれ人生のどこかの地点で、かならず勝負に出なくてはならない時が来るだろうな、と感じつつ。
そして、それが「いま」なんだという確信がある。
今回制作した壁画が岡本太郎賞に入選したことで、関口くんも、
「やっとリングに上がってきたな」という歓迎の意をこめて、俺をプロレスに誘ってくれたんだと思う。
まあ、人からもらったペアチケットらしいから、ただ単に一緒に行く連れを探していただけかもしれないけど(笑)。それはそれで光栄である。
by kan328328 | 2016-01-15 15:04 | 日常

美術作家・三宅感のブログです


by kan miyake
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