アトリエから見上げる空はどこまでも大きく。
あかね雲は深い黄金色をおびて、意味ありげに流れてゆく。
地球の表面にへばりついて、ウロウロしていた昼の自分を思う。
ファミチキほおばり、スッパムーチョのポイント大事に切り取って。
必死だよ。
畑沿いで目にとまるのは、野草の生々しいみどり色。
神経質なまでに作りこまれた葉や茎のフォルムは、すんごい具体的。
これら自然の手わざを見るにつけ、なんとなく、
「神はいるんじゃないか?」と思ってしまう。
いや、なんとなくではなかった。
ハッとするような、直感的なしびれだ。
これはマズイと思いつつも、しばらく法悦にひたる。
「自然って何でこんなに大げさなんだ?」
演出過多な自然をみるたびフシギになるが、それは逆であった。
本来大げさである所の自然を、理性が矮小化していただけだった。
ひとりでアトリエにこもって制作している時。
自然の造形に、誰かの「制作意図」を感じる時。
ふいに襲ってくるのは、このなんともいえない状態だ。
夕焼けの前でひたすら謝りたいような。
ありがとうございます、とお礼を述べたいような。
この風景をベタ褒めしたいけど、誰に伝えたらいいものか。
たまらないんだよ。
すでに何千年も過ぎ去ってしまった人間の歴史を考える。
その突端で「いま」33歳という旬の肉体を有しているという、衝撃。
何に対してかはわからないけど、とりあえずまだ「自分の番」であるという驚異。
これもまた、誰かに感謝したい気持ちになる。