10年目につづる高円寺叙景
2017年 01月 14日
朝、満員電車内で腰にタックルされ、ギクッ!ときた。
ようやく歩けるようになったのに、またふりだしに戻る所だった…
今日はアトリエには行かず、家で紙粘土をこねている。
おなじ姿勢を5分も続けていると、腰がバキバキと痛みだす。
全快までには、まだ少し時間がかかりそうだ。
しかし、体ってのはすごいな。
ジッと養生していれば、またこうして動くようになる。
一週間前まで、地蔵のように硬直していた腰が。
家族の献身あってのこの体、ありがとう。
ほっといても自然と回復に向かう体内システム、ありがとう。
体の自由がきくうちに、たくさん制作しておきたい。
気がつくと、このブログも今年で10周年だ。
かなり断続的だけど、なんだかんだ書き続けている。
昔の投稿を読みかえしてみると…
見栄、泣きごと、ひけらかし、狙いてらい、同情乞い。
そんなんばかりじゃないか。
おい、がんばれよ!俺!
10年前といえば、下宿を橋本から高円寺に移した頃だ。
当時の部屋の様子はというと…
こんな感じであった。
「突きぬけたい」という衝動だけは伝わってくる。
そのエネルギーをどこに向けて良いかわからなかったようだ。
床に散乱しているのはゴミではなく、映画の小道具類。
一向に進まない自作映画のフラストレーションは、仮装を見ればわかる。
自分という軸が元気にズレてきた頃、このブログを書き始めたのだった。
それにしてもこの3万円のボロアパート、良い思い出がほとんどない。
隣の家には老老介護をする母娘が住んでいて、毎晩のように台所から、
「せつこさん、わたしヒザが痛いの、さすってちょうだい…」
「いやですよ。じっとしてりゃいいものを、勝手に外出なんてするから…」
と、老女同士の会話が念仏のように響いてきた。
行くさき見えぬわが身には、ヘビーなBGMであった。
アパートのまわりにはドクダミが群生しており、窓を閉めていても、
古い着物のような、薬品のような、あの何ともいえないパフュームが漂ってきた。
畳の下からは羽蟻やダンゴムシがわき、ドアの前ではネズミが死んでいた。
ノラ猫もよく集まってきて、わりと人間以外の方が賑わっていた印象だ。
ノラ猫もよく集まってきて、わりと人間以外の方が賑わっていた印象だ。
ある朝のことを思い出す。
強烈なノドの痛みで目がさめると、一面真っ白の世界になっていた。
「うう、死んだ?」
あわてて起き上がると、布団からケムリがもうもうと立ちのぼっている。
つけっぱなしの電気ストーブから着火したらしい。
布団半分がカチカチに黒くこげ、巨大な乾燥ワカメみたいになっていた。
またある夜、友人と部屋でアコーディオンを弾いていると、
バーン!とドアを蹴やぶって隣室のコワモテ男が飛びこんできて、
「ウルセーんだよゴルァ!おもてに出ろ!ブッ殺すぞ!」と凄まれた。
ドアをこわされて黙っていられなかった俺は、とにかくひたすら謝った。
部屋に風呂は付いていなかった。
毎日せまい流しに頭や足をつっこんで水道で洗う、ひとり修験道であった。
夏場はまあ、それですんだ。しかし冬は水の冷たさがキツく、
近所のコインシャワー(2分100円)に行った。
2分で全身を洗い終えようと何度もチャレンジしたが、ムリだった。
俺は持参した石鹸とペットボトルの水で体を一通り洗ってから、
ゆっくりと熱いシャワーで洗い流すことを覚えた。
「さみしい工夫だな…」
と思った。
だからゼイタクといえば、給料日に近所の銭湯に行くことだった。
全身をゆったりとのばして湯に浸かれば、日ごろのウップンも溶けだすように思えた。
晴ればれとした心もちで、友人に「やっぱ銭湯はいいね〜」と言うと、
「ここの銭湯、ホルマリン漬け殺人をした犯人が通ってたんだって」
と教えてくれたのさ。
あの頃はどうも、シンドかった。
その原因はアパートの辛気くささにある気がした。
俺は部屋の砂壁をまっ赤なベルベット生地で隠し、
黄ばんだ畳の上に白いプラスチック板を敷きつめ、
机にアンモナイトやハスの実やメノウ石をちりばめ、
毎日バンバンお香を焚いた。
自分なりの快適リフォームのつもりだった。
その夜。
寝ようと思って電気を消すと、暗やみに赤い布がうかびあがった。
寝返りをうつと今度は床のプラスチックが、街灯を青白く照り返していた。
部屋全体がサーカス小屋のように見え、
「おお、デヴィッドリンチの映画みたい!」
と、盛り上がったのは初日だけだった。
当然のように悪夢ばかりみるようになった。
アンモナイトが並んだ机では、食事もすすまなかった。
しかし、せっかくのリフォームをやり直したくなかったので、
「あー落ちつくぅ〜」などとゴマかしゴマかし、サーカス部屋を維持した。
そして1年くらいして、ようやく、
「快適じゃねーよ、こんなの」
と、赤い布をぜんぶ引っぺがした。
当時俺は、渋谷のミニシアター系映画館で映写技師のバイトをしていた。
大好きな映画監督であるレオス・カラックスやキム・ギドクが出入りする空間は、とにかく刺激的であった。
まわりには監督志望の自称シネフィル(映画狂)たちがたくさんいて、ことば巧みに映画評論など展開していたが、話している内容はほとんど蓮實重彦の受け売りであった。
俺にしてみれば、鑑賞後にみんなで論じあうハイソな映画より、一人アパートの暗がりの中で観た「追悼のざわめき」や「死の王」といったカルト映画の方が、よっぽどリアルで美しかった。
その後も中央線を転々としたけれど、高円寺が一番ふしぎな街だったように思う。
なぜか毎日のように怪事に見舞われた気がして、それはそれで楽しかった。
もうあの頃に戻りたいとは思わないけど、高円寺というトンデモ保護区域の中で体験した事は、今もだいじな記憶として胸に残っている。
by kan328328
| 2017-01-14 18:22
| 思い出