10年目につづる高円寺叙景

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あぶない、あぶない。
朝、満員電車内で腰にタックルされ、ギクッ!ときた。
ようやく歩けるようになったのに、またふりだしに戻る所だった…

今日はアトリエには行かず、家で紙粘土をこねている。
おなじ姿勢を5分も続けていると、腰がバキバキと痛みだす。
全快までには、まだ少し時間がかかりそうだ。

しかし、体ってのはすごいな。
ジッと養生していれば、またこうして動くようになる。
一週間前まで、地蔵のように硬直していた腰が。

家族の献身あってのこの体、ありがとう。
ほっといても自然と回復に向かう体内システム、ありがとう。
体の自由がきくうちに、たくさん制作しておきたい。

気がつくと、このブログも今年で10周年だ。
かなり断続的だけど、なんだかんだ書き続けている。
昔の投稿を読みかえしてみると…
見栄、泣きごと、ひけらかし、狙いてらい、同情乞い。
そんなんばかりじゃないか。

おい、がんばれよ!俺!

10年前といえば、下宿を橋本から高円寺に移した頃だ。
当時の部屋の様子はというと…

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こんな感じであった。

「突きぬけたい」という衝動だけは伝わってくる。
そのエネルギーをどこに向けて良いかわからなかったようだ。
床に散乱しているのはゴミではなく、映画の小道具類。
一向に進まない自作映画のフラストレーションは、仮装を見ればわかる。
自分という軸が元気にズレてきた頃、このブログを書き始めたのだった。


それにしてもこの3万円のボロアパート、良い思い出がほとんどない。
隣の家には老老介護をする母娘が住んでいて、毎晩のように台所から、

「せつこさん、わたしヒザが痛いの、さすってちょうだい…」
「いやですよ。じっとしてりゃいいものを、勝手に外出なんてするから…」

と、老女同士の会話が念仏のように響いてきた。
行くさき見えぬわが身には、ヘビーなBGMであった。

アパートのまわりにはドクダミが群生しており、窓を閉めていても、
古い着物のような、薬品のような、あの何ともいえないパフュームが漂ってきた。
畳の下からは羽蟻やダンゴムシがわき、ドアの前ではネズミが死んでいた。
ノラ猫もよく集まってきて、わりと人間以外の方が賑わっていた印象だ。


ある朝のことを思い出す。
強烈なノドの痛みで目がさめると、一面真っ白の世界になっていた。
「うう、死んだ?」
あわてて起き上がると、布団からケムリがもうもうと立ちのぼっている。
つけっぱなしの電気ストーブから着火したらしい。
布団半分がカチカチに黒くこげ、巨大な乾燥ワカメみたいになっていた。

またある夜、友人と部屋でアコーディオンを弾いていると、
バーン!とドアを蹴やぶって隣室のコワモテ男が飛びこんできて、
「ウルセーんだよゴルァ!おもてに出ろ!ブッ殺すぞ!」と凄まれた。
ドアをこわされて黙っていられなかった俺は、とにかくひたすら謝った。
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部屋に風呂は付いていなかった。
毎日せまい流しに頭や足をつっこんで水道で洗う、ひとり修験道であった。
夏場はまあ、それですんだ。しかし冬は水の冷たさがキツく、
近所のコインシャワー(2分100円)に行った。
2分で全身を洗い終えようと何度もチャレンジしたが、ムリだった。
俺は持参した石鹸とペットボトルの水で体を一通り洗ってから、
ゆっくりと熱いシャワーで洗い流すことを覚えた。
「さみしい工夫だな…」
と思った。

だからゼイタクといえば、給料日に近所の銭湯に行くことだった。
全身をゆったりとのばして湯に浸かれば、日ごろのウップンも溶けだすように思えた。
晴ればれとした心もちで、友人に「やっぱ銭湯はいいね〜」と言うと、
「ここの銭湯、ホルマリン漬け殺人をした犯人が通ってたんだって」
と教えてくれたのさ。


あの頃はどうも、シンドかった。
その原因はアパートの辛気くささにある気がした。
俺は部屋の砂壁をまっ赤なベルベット生地で隠し、
黄ばんだ畳の上に白いプラスチック板を敷きつめ、
机にアンモナイトやハスの実やメノウ石をちりばめ、
毎日バンバンお香を焚いた。
自分なりの快適リフォームのつもりだった。

その夜。
寝ようと思って電気を消すと、暗やみに赤い布がうかびあがった。
寝返りをうつと今度は床のプラスチックが、街灯を青白く照り返していた。
部屋全体がサーカス小屋のように見え、
「おお、デヴィッドリンチの映画みたい!」
と、盛り上がったのは初日だけだった。

当然のように悪夢ばかりみるようになった。
アンモナイトが並んだ机では、食事もすすまなかった。
しかし、せっかくのリフォームをやり直したくなかったので、
「あー落ちつくぅ〜」などとゴマかしゴマかし、サーカス部屋を維持した。
そして1年くらいして、ようやく、

「快適じゃねーよ、こんなの」

と、赤い布をぜんぶ引っぺがした。
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当時俺は、渋谷のミニシアター系映画館で映写技師のバイトをしていた。
大好きな映画監督であるレオス・カラックスやキム・ギドクが出入りする空間は、とにかく刺激的であった。
まわりには監督志望の自称シネフィル(映画狂)たちがたくさんいて、ことば巧みに映画評論など展開していたが、話している内容はほとんど蓮實重彦の受け売りであった。
俺にしてみれば、鑑賞後にみんなで論じあうハイソな映画より、一人アパートの暗がりの中で観た「追悼のざわめき」や「死の王」といったカルト映画の方が、よっぽどリアルで美しかった。
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その後も中央線を転々としたけれど、高円寺が一番ふしぎな街だったように思う。
なぜか毎日のように怪事に見舞われた気がして、それはそれで楽しかった。
もうあの頃に戻りたいとは思わないけど、高円寺というトンデモ保護区域の中で体験した事は、今もだいじな記憶として胸に残っている。

by kan328328 | 2017-01-14 18:22 | 思い出

美術作家・三宅感のブログです


by kan miyake
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