普段、友人とはほとんど会わない。
報告をかねて2年に1回くらい会えればいい。
そういう感じで、ずーっとやってきた。
歌でも、絵画でも、彫刻でも、
表現をする人間は一人でいるほうが、
良い作品ができると信じているから。
でも最近、
その考えもホドホドにしたほうがいいかもな、
と思い始めている。
この2年くらい、自分の展示をキッカケに、
ふるい友人たちと次々に再会したわけだが、
その多くは、じつに8〜10年ぶりであった。
ひさしく会わない間に、彼らは、
結婚・離婚を経験していたり、
親や恋人を亡くしていたり、
多額の借金を抱えていたり、
ひっそりとガンの手術をしていたり、
障害者手帳を取得したりしていた。
大学時代の同級生と、
俺の未完成映画の主演俳優さんは、
長い闘病生活のすえ、去年の冬に亡くなった。
こういう事実にぶつかったとき、
どう言い表したらいいのか。
俺が「作家のコドク」を気取っているあいだ、
何人かの友人たちは人生の山場を越えており、
それに気づかず日々を過ごしてきたのかと思うと、
なんというか、
ちょっとショックを受けた。
「ダメじゃん、俺」と。
友人を思うならせめて、
メールを送ったり、時おり電話したりして、
しかるべき時には会いに行き、
「いろいろ大変だけどがんばろう」
と、言うのも大切なんじゃないか。
「いやいや、お前がな」
という返事をもらうために。
そう、
「がんばれよ」と言ってもらうために、
俺もがんばらねばいけない。
いまにして思えば、
「感はがんばる」などと、ああ、
なんてイモ臭いブログタイトルにしちまったんだ。
うあーーーーー!!!
と顔を枕にうずめては、
もう5万4千回くらい後悔したと思うが、
それでも、
じつに自分の素性を言い当てているタイトルだ。
うつ病というものが市民権を得てから、
すっかり肩身のせまくなった「がんばれ」という言葉。
今の日本でヘタに言おうものなら、
喉元をグサッと刺されそうなくらいの禁句である。
そのかわりとして、
すっかりちまたに定着したのは、
「ムリしないでね」
「そのままでいいよ」
という、一口スイーツのような言葉。
人によく思われたいときに使うと、
バツグンの効果を発揮するらしい。
最近の俺もまた、バカの一つ覚えのように、
この言葉を乱用している。
でもやっぱり、
友人に「がんばれ」と言われると、
胸が熱くなる。
がんばれよ。
がんばれ。
そのままでもいいけど。
もうちょっとがんばれよ!
ムリしない程度に。
いやいや、
少しムリして、がんばれよ!
がんばれ!!
そういえば、
音楽活動をしている友人の何人かは、
俺の岡本太郎記念館の展示を見にきてくれて、
会場で自分たちのCDをプレゼントしてくれた。
それぞれ紹介したい。
kahier / 「white past」
阿佐ヶ谷に住んでいたころ知りあった、
友人のバンドである。
「kahier」と書いて「カイエ」と読む。
詩人ポール・ヴァレリーの著作から取ったらしい。
ギターボーカルの領家くんとは、
バイトの後でよく酒を飲み、
ハードコアやノイズ、パンク、ポストロックを聴き、
ドストエフスキーから白樺派、世界の詩人について語り、
ビクトル・エリセやルイ・マルの映画について語った。
そして大体ふたりで酔っぱらっては、
ここには書けない、ふざけたことを沢山した。
誕生日に森田童子のLPをくれた。
そのうち彼は「CDを出す」と言い、
録音作業に専念しはじめた。
だんだん会う回数も減り、
俺は阿佐ヶ谷を離れて結婚し、子供がうまれた。
「kahierは録音に難航している」
というウワサを、友人伝いに耳にした。
あらゆる美しいものに対して、
領家くんの理想が高いのは知っていたので、
本当にアルバムを完成できるとは思わなかった。
正直、ムリなんじゃないかと思った。
それを2014年の時点で、
すでに完成させていたらしい。
本当なのか。
やってくれてたのか。
今回もらったアルバムには、
当時の彼が熱く語っていた、
詩情にまつわるすべてが詰まっているように感じた。
ヘタなことを書くつもりはないが、
激しくてもろい、詩集のようなアルバムである。
穂高亜希子 / 「あの頃のこと/風、青空」
高円寺にいたころ知りあった友人である。
この人はたぶん、
晴れた日の土手を歩いてる時とかに、
ふいに「歌」に体を乗っとられたんだろう。
穂高さんが歌っているというより、
「歌」が歌っているという感じである。
どこにもウソがない。
照れも、狙いも、ポーズもない。
テクニック自慢もない。
ムダな歌詞もない。
あるのはいくつかの楽器と、
まわりを黙らせてしまうほど誠実な歌声だけだ。
それだけの素材で感情ギリギリの詩をつむぎ、
しっかりと世に出てしまった。
彼女がかつて、
非常階段のJOJO広重氏に絶賛され、
早川義夫氏、大友良英氏と共演しているのも、
俺には「そりゃそうだろう」としか思えない。
こればかりは一聴すればわかる。
穂高さんの歌声は、
一筆書きのようにうつくしい。
大柴陽介 / 「BLACK YELLOW PURPLE」
友達のだんなさんである。
大柴くんのライブは何度も見に行ったが、
会話はほとんどしたことがない。
奥さんと子供たち3人を残して、
2014年にとつぜん亡くなってしまった。
独特なしゃべり方の、奇抜な人であった。
高円寺の八百屋でモウレツに働く姿を、
毎日見かけた。
仕事から帰った後は、
宅録しまくっていたらしい。
それがこのアルバムである。
CDを聴いてみると、
ふしぎと明るい曲ばかりだった。
いや・・・
明るいって言うわりには、
背後で桃源郷がゆらめいているぞ。
ダンサブルである。
いや・・・
ダンスと言うより、
軟骨運動といったほうが正しいかもしれない。
ファンキーである。
いや・・・
ファンクって言うにはあまりにかわいい、
生活宇宙ニッポンという感じである。
サイケデリックである。
うん、まちがいなくサイケデリックである。
ひたすらサイケデリックである。
このCDをひとことで言い表せば、
「怖いものなし」だろう。
食べもので言い表すなら、
まちがいなく「タコわさび」だろう。
直接的なメッセージは響いてこないので、
油断して聴いていると、時間が経つにつれて、
ジリジリとあぶり出しのように、
「いつだって、なんだって、できるぜ」
という、
大柴氏のメッセージが脳裏に焼き付いて、
そのままボヤ騒ぎにまで発展しそうだ。
つまりは、
落ち着かないリラックスソング集である。
じっさい、人生は何でもありなんだし、
大柴くんも着地する気は、
さらさらなかったんだろうな。
「CDを出す」宣言はわりと誰でもする。
俺も、何人もの口から聞いてきた。
でも、それを完遂させるには、
いったいどれほどの集中力を必要とするのか、
まったく想像ができない。
でも過去の宣言者たちが、
ほぼ実行できていないのを見ると、
やはりとても大変な作業なんだろうと思う。
産みの苦しみをのりこえた友人たちが、
こうしてわざわざ作品を届けてくれたという事は、
何ものにも代えがたい嬉しさである。
この3枚を毎日、
朝から晩まで聴いている。