俗世をのりこえて

d0108041_21300702.jpg
息子と奥さんと3人で、
東京郊外に住む作家夫妻を訪ねた。


奥さんは木彫作家、
だんなさんは油絵を描いている。

緑地にかこまれた自宅にオジャマして、

お酒を飲んで、虫をとり、

床に寝そべり映画を観て、

息子とプロレスごっこをしたりして、

たのしいひとときを過ごした。


帰りぎわ、
家から少しだけ離れた場所にある、
木造二階建てのアトリエを見せてもらった。


シャッターを開けて中に入ると、
部屋のすみに置かれた作業台の上に、
キレイに研がれたノミが整然とならび、
壁には使いこんだノコギリがぶら下がっていた。

d0108041_21304714.jpg
最低限の工具と木材、
思索するための机とイス。


借りて10年になるというアトリエには、
まごう事なき「作家」の気配がただよっていた。


俗世間のムダが、いっさいない。

あたりまえだが、

AKBのCDも、

KFCの骨かすも、

TBCのエステチケットもなかった。


瞑想的な生活をうかがわせる空間に、
俺の心はトキメいた。

都会の喧騒から生まれるアートもあるが、
やはり、作家はしずかな環境で作るほうがいい。

たとえば、
ふかい森のなかに独り住まい、
めぐりゆく自然のサイクルから得た知見でもって、
物質文明を批判したヘンリー・ソローのような暮らし。

もしくは、

海岸ぞいの物置小屋に寝起きして、
ビール箱の上でカリカリと私小説をつづった、
川崎長太郎のような暮らし。
(ファンは片っぱしから食ったけども)


「あー、俺ももう、
逆ギレのようなイミテーション作品はやめて、
もっと思慮深い作品をつくりたい」


くすぶるような木の香りと、
雨だれのひびく木彫アトリエの中で、俺は思った。

d0108041_21312253.jpg
〈友人夫婦からもらった旅行土産。これは木じゃなくて石です〉



それにしても「木」ってのは、良いものだ。


人間とおなじ生き物である「木」は、
大体自分よりセンパイなことが多い。

センパイのゴツンと説得力のある木肌を前にすると、
作家の「加工したいエゴ」も消えていくのだろう。


作家はただ、
何十年も生きてきた樹木のカタマリを、
大地から「献体」していただいて、

フシ目を生かしてカタチを決め、

木目にそってノミを入れ、

樹皮の奥深く眠っていた作品を、
じょじょに、顕現させていくのだ。

そしてようやく現れた作品もまた、
時間と共にゆっくりと朽ちていく運命にある。


生みだされたカタチある生命を、
ふたたび永遠の流れの中に送りかえすような、
仏教的無常観。


じつにいいもんである。

d0108041_21370349.jpg
よし、それなら俺は制作中、
下地となる発砲スチロールを加工しているとき、
どんな心境にあるだろう?

言葉にするなら、


すげー加工しやすい加工品を、

さらにサクサク加工して、加工ウィース!!

そこにボンドをベタベタ塗って、

粘土で自由にデコりまくって(デコレーション)、

かざって、盛って、色ぬって、アゲアゲ攻め攻め、

マジ盛りディース!!!


という感じである・・・。
木の重厚さにくらべて、その軽薄さは否めない。

マテリアル(素材)の存在感は必然、
作家の存在感ともリンクしてくる。


「作品が作りたい!」


となったとき、とにかく、
俺は発泡スチロールと紙粘土をえらんだ。
きっとそこに、自分のすべてが詰まっているはずだ。


いや・・・
本来なら、俺の作家活動はもっと、
タルコフスキーの映画「ノスタルジア」のように、
ミステリアスな深緑のムードに包まれながら、
世界平和をロウソクの炎に託し、おごそかな面持ちで、
ゆっくり、ゆっくりと歩いていくはずだった。

d0108041_21323872.jpg
それなのに、

俺のまとった哀愁漂うトレンチコートのすそを、
うまい棒のキャラクターみたいなフザケた奴が、
グイグイと引っぱってくるのだ。


「おじさん、おじさん。
意味ありげなことする前に、
メンタイ味を一本いかが?」

と。

ああ、やめてくれ。
おまえ、チープな笑顔をふりまくな。
なんで俺にはこう、夾雑物がつきまとうのか。
せっかくのシリアスを茶化すなよ。


うまい棒のアイツをふり払うと、今度は、
Googleのニュースサイトがすがりついてきて、


「おじさん、おじさん。
意味ありげなことするのもいいけど、
あのアイドルが不倫発覚だってさ」


と、囁きかけてくる。


だから、やめてくれ!

俺は人類の普遍的価値と向き合っているんだってば!

母さん、部屋を開ける時はノックしろって言っただろ!

d0108041_21331462.jpg
シリアス一辺倒になりきれない、

俗物根性、道化根性、末っ子根性。

良くいえば、生まれながらのサービス精神。

悪くいえば、一つの表現にしぼれぬ幕の内センス。



お寺で精進料理を出されれば、
とたんにスライム・グリーンにテカつく、
ねるねるねるねを食べたくなるのは、なぜなんだ?

その反面、
EDMがガンガン鳴りまくるクラブに行ったなら、
きっと電源ぜんぶ落として森にDJを引っぱって行き、
ひぐらしの鳴き声を聴かせてやりたくなるのだ。



34年もつづいた俺の「聖と俗の反復横飛び」は、
どこにも属したくないという、ただの甘えかもしれない。

by kan328328 | 2017-08-20 21:39 | アート | Comments(0)

美術作家・三宅感のブログです


by kan miyake
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31