こないだ、利用者さんと二人で定食屋に入った。
向かいの席には4人の屈強な男たちが座っていた。
会話の内容から、どうやら建設会社の人たちらしく、
親方が話の進行をつとめるようなカタチで、
「若い頃にしたヤンチャ」の告白大会がはじまっていた。
理由なき無数の暴力を振るってきたこと、
バット片手に一人で特攻したこと、
他校のグラウンドでハデな立ち回りを演じたこと、
若い衆たちは皆、己の武勇伝を誇らしげに語っていた。
一通り話し終えると、
今度は親方が仕事についての話題を持ち出し、
「この業界にはまだ圧倒的なヒエラルキーがあるからよ」
と語った。
すると、若い衆の一人が、
「ああ・・・ひえらるきい、っすね」
と、たどたどしく発音し、他の2人もまた、
「そうそう」「たしかにあるな」
と、同意するも、そこで会話が止まってしまう。
とっさに親方は、
「ヒエラルキー」の解説が必要だと察したのか、
人さし指で宙におおきな三角形をえがいて、
「ザックリいえば、俺たちには見えない三角関係があるって事よ」
と、本当にザックリと答える。
若い衆はアイマイにうなずきつつ、
「そうそう、三角関係ね」
「男もありますよね。フクザツっすもん…」
と言って、そそくさとビールを飲み始めた。
彼らの思い描く「ヒエラルキー」はきっと、
それぞれ違ったカタチをしていた事だろう。
男の世界はむずかしい。
知らないことを「知らない」と言えない空気。
弱味をさらせない意地、非を認めない意地。
力関係の探りあい、虚勢の張りあい、牽制試合。
女だけの母子家庭で育った俺には、
この「男のルール」が、未だによくわからない。
「武勇伝」として語れるものも、自分にはない。
他人と拳を交え、熱い血を流した経験もない。
どちらかというと、
情けなくて、ダサくて、カッコ悪くて、はずかしい、
フワフワと浮かれ過ぎて失敗した話、
いわば「浮遊伝」しか持ち合わせていない。
それを少しずつ人前で披露するうち、俺はやがて、
自分の失敗談でみんなが笑ってくれることに、
この上ない喜びを感じるようになった。
「このままで行こう」と。
先輩のベンツに乗って街を流した事はないけど、
公園のベンチに座って涙を流した事ならあるし、
(バイトに行くのが辛過ぎて)
イキがったボンクラを血祭りに上げた事はないけど、
イキがって盆暮れと高崎祭りには帰省していたし、
(ふるさとを懐かしむ上京者気どりで)
危険な繁華街でやんちゃした事はないけど、
横浜の繁華街でヤムチャした事ならあるし、
(下宿から近かったので)
人を殴った事は一度もないけど、
殴られた事なら一度はある。
その一度は、高校に入学したての頃。
友だちに連れられて、
他校の不良の家に遊びに行ったら、唐突に、
「ボコッ!」と肩をなぐられた。
ショックで俺は速攻帰った。
帰りのあぜ道で、
いつもオシャレな服を着ている男友達が、
「ひでーよな、アイツ。ひでーよ」
と言いながら、ずーっとついてきた。
そして別れぎわ、彼のジマンでもあり、
当時の高校生には高級ブランドだった、
W<のカバンからキーホルダーを取り外し、
「これ、な」
と、俺の手に握らせて、帰って行った。
あれは友情だったんだろうか。
わからない。
わからないが、とりあえずキーホルダーはとっておいてある。
学生時代、男友達が残していったものは何であれ、
捨てることができない。
18歳のころI君がスケッチブックに書いたラクガキ、
20歳のころN君がベニヤ板に描いたラクガキ。
アートにまったく興味のない男達のラクガキが、
何でこんなに美しいのかと思う。
〈O君が14歳のときに描いた和田アキ子〉
14歳のころにO君がパソコンでふざけて描いた、
和田アキ子のラクガキを、俺は透明フィルムで圧着し、
今でも厳重に保管している。
本人はとっくに忘れていることだろう。
この収集行為がいったい何を意味するのかわからないが、
いずれ自分が年老いた時、これらのコレクションを並べて、
一人で酒を飲んだら、きっと泣けるんだろうと思う。