ファインディング・キモ
2018年 01月 12日
新年を迎えるにあたり、
開設11年目にして初めて、ブログのデザインを変えました。
トップに記事の見出しが並ぶようにしたので、
パソコンで見たとき、とても読みやすくなりました。
スマホ画面はいつもと変わらないけどね。
こうして、
今まで俺が書いてきた数少ない記事を読み返してみると、
自分はつくづくめんどくさい人間だと思い知らされます。
一人称はその日の気分によって、
「僕」「俺」「私」「自分」とまとまりがなく、
作品の失敗・プレッシャーにおびえたかと思えば、
うれしい出来事に幼児のごとく興奮し、
ひたすら全方向に毒を吐き散らしたかと思えば、
悲しみにくれる自省録を淡々とつづってみたり、
あふれんばかりの友情を叫んだりと、さわがしい。
これを本名のまま、
10年以上ネットにさらしてきたのかと思うと、
自分の露出狂っぷりにただ、あきれるばかりだ。
読んでいるコッチがこっ恥ずかしくなるくらい、
思いの丈を書きなぐった駄文もいくつか(全部?)あるが、
それも味わいかと思い、削除せずにそのまま残してあります。
展示をしたときは、本当にたくさんの人たちが、
「ブログ読んでます」
と教えてくれて、とても嬉しかったのだけど、
わざわざ申告してくれるそのほとんどは女性で、
男性はチラホラと数えるばかり。
多分、あまりに赤裸々なこのブログの文面は、
おなじ男の立場として、この上なく気持ちが悪いんだろう。
うん・・・
まあ、キモい。
キモいよ、オッケ!
でも俺はさ。
ずっと昔、それこそ14歳くらいからずっと、
たとえ「男」であっても、
いや、むしろ「男」であればこそ、
恥じらいとか、もろさとか、傷つきやすさとか、
そういう、自分の敏感な部分をあえて「さらす」ってのは、
表現者である以上、最も大切なことだと信じているのです。
最もね。
これはまだ誰にも共感してもらえた事がないので、
書いてて不安になるけども。
詩とかも本質はそういう物なんじゃないのかなあ?
だからあとは、
「そもそも34歳中年男の恥じらいを誰が見たいのか?」
っていう根本的な問題さえ解決できれば、
この主張はあながち間違ってないと思うんですよ。
自分の場合、気を抜くとつい、
「ホラホラ、これを見て」
と、露悪的に傷口を見せたがる悪癖があるので、
そういう欠点は何としても直していきたいです。
気分というものは感染するものなので、
あまりネガティブなことも書かないようにしたいな。
そうだ、あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いします!!
三宅感
by kan328328
| 2018-01-12 23:55
| キモ