新年を迎えるにあたり、
開設11年目にして初めて、ブログのデザインを変えました。
トップに記事の見出しが並ぶようにしたので、
パソコンで見たとき、とても読みやすくなりました。
スマホ画面はいつもと変わらないけどね。
こうして、
今まで俺が書いてきた数少ない記事を読み返してみると、
自分はつくづくめんどくさい人間だと思い知らされます。
一人称はその日の気分によって、
「僕」「俺」「私」「自分」とまとまりがなく、
作品の失敗・プレッシャーにおびえたかと思えば、
うれしい出来事に幼児のごとく興奮し、
ひたすら全方向に毒を吐き散らしたかと思えば、
悲しみにくれる自省録を淡々とつづってみたり、
あふれんばかりの友情を叫んだりと、さわがしい。
これを本名のまま、
10年以上ネットにさらしてきたのかと思うと、
自分の露出狂っぷりにただ、あきれるばかりだ。
読んでいるコッチがこっ恥ずかしくなるくらい、
思いの丈を書きなぐった駄文もいくつか(全部?)あるが、
それも味わいかと思い、削除せずにそのまま残してあります。
展示をしたときは、本当にたくさんの人たちが、
「ブログ読んでます」
と教えてくれて、とても嬉しかったのだけど、
わざわざ申告してくれるそのほとんどは女性で、
男性はチラホラと数えるばかり。
多分、あまりに赤裸々なこのブログの文面は、
おなじ男の立場として、この上なく気持ちが悪いんだろう。
うん・・・
まあ、キモい。
キモいよ、オッケ!
でも俺はさ。
ずっと昔、それこそ14歳くらいからずっと、
たとえ「男」であっても、
いや、むしろ「男」であればこそ、
恥じらいとか、もろさとか、傷つきやすさとか、
そういう、自分の敏感な部分をあえて「さらす」ってのは、
表現者である以上、最も大切なことだと信じているのです。
最もね。
これはまだ誰にも共感してもらえた事がないので、
書いてて不安になるけども。
詩とかも本質はそういう物なんじゃないのかなあ?
だからあとは、
「そもそも34歳中年男の恥じらいを誰が見たいのか?」
っていう根本的な問題さえ解決できれば、
この主張はあながち間違ってないと思うんですよ。
自分の場合、気を抜くとつい、
「ホラホラ、これを見て」
と、露悪的に傷口を見せたがる悪癖があるので、
そういう欠点は何としても直していきたいです。
気分というものは感染するものなので、
あまりネガティブなことも書かないようにしたいな。
そうだ、あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いします!!
三宅感