
Facebookやtwitter上にて、
自分の宣伝をすることに昔よりは慣れてきたけど、それでも投稿するときの抵抗感はいまだ拭えない。
「展示するのでぜひ来てください」
と書くだけなのに、脳の司令塔から、
「お前の記事など誰も読みたかない!」
とさけぶ声がする。
俺はそいつのことを軍曹と呼んでおり、外見は、
フルメタル・ジャケットに出てくるリーアーメイだ。
軍曹は居丈高に腕組みしながら、
「コレをしてはならぬ!アレはするべきだ!」
などと指示を出してきて、
あーうるさいとウンザリするけれど、もともとは、
20代の頃に俺が自ら脳に招き入れたのだった。
「どうか僕をりっぱな大人にしてください」と。
美大を出たばかりの俺はホタルイカのように、
心も体もクンニャリしたまま社会に放られて、
このままだと路上暮らしか樹海行きだと憔悴。
あわてて、
社会復帰するための良きアドバイザーとして、
自分の理想とする軍曹を頭の中で創り上げたのだ。
軍曹のトレーニングはいたってシンプル。
バイト先や見知らぬ人との会話のなかで、
俺が自分の思ったことを素直に言いそうになると、
軍曹が鬼の形相で脳内ホイッスルを鳴らす。
「オイ!そのキモい言い回しをやめるんだ」
「オイ!こんな明るい職場で自分語りをするな」
「オイ!さっさとお天気の話題をふれ」
「オイ!そんな濃い返答は誰も求めちゃいないぞ」
どこで話していても、何を考えていても、
軍曹のチェックが入り、気の休まるヒマがない。
辛くはあるけど、自ら求めた特訓でもあるため、
俺はなんとか必死になって、
言葉の個性的なニュアンスを殺し、
無限にひろがる連想の枝葉は切り落とし、
ヒョッコリ出たがる感性は納戸にしまい、
とにかくクソマジメ、クソマジメの形状へ、
自分自身をブラッシュアップし続けた。
そんな痛みのともなう構造改革の甲斐あって、
徐々に俺も社会へと順応できるようになった。
その間、およそ8年くらい。
そしてふと気がつくと、自分が楽しむ事自体に、
罪悪感を持つようになっていた。

友人宅のやわらかいソファーに座ったとき、
定食屋のTVでお笑いを観てクスッとしたとき、
ふいに豪華な料理をごちそうになったとき、
そんな些細な喜びを感じたときですら、心の奥で、
「こんなに自分を喜ばせて良いんだろうか・・・」
と、自己嫌悪のようなものが広がった。
たとえそこが、
どんなに許されたリラックス空間であれ、
自分だけは楽しんではいけないような気がして、
体は硬直してしまい、全然くつろげない。
心ある同僚の何人かは、「オン・オフを切り替えるといいよ」
とアドバイスをくれたりもした。けど、
そんな器用にパッパと変えられるものでもなく。
自分を追いつめる傾向は日ごとに増し、
あたたかく、やわらかくお膳立てされた、
心やさしい人たちに囲まれているくらいなら、
いっそゴツゴツと不安定な野外に一人でいる方が、
シックリくるほどになっていた。
寒風吹きすさぶベンチに座っていると、
「そうだ、お前にはそこがふさわしいんだよ」
と、軍曹の笑い声が聴こえてくる。

ホントに必要だったんかなあ。
特訓。
もし、これが世間でいうところの、
「大人の仲間入り」だとすれば、ホント、
とんでもない所へ来ちゃったな。
今は、そう思う。
自分を表現する機会に恵まれるようになった。
だから、
俺はまるで手のひらを返したかのように、
今までずっと虐げ続けてきた己の「感性」に、
ヘラヘラとお伺いをたてる日々が続いている。
やあ。元気してた?
今まで無視し続けて、ごめん。
ほら、俺も若いときは必死だったし、
いろいろと抑制するしかなかったんだ。
軍曹に助けられた部分もあるし。でもさ、
本当は何かを表明したかったんだろ?いいよ。
好きな色を使って、好きなカタチを作って、
好きな事を表現したら良いんだ。
もう否定しないし、俺が間違ってたよ。
ごめん。
そうやって声を掛けはするものの、
「感性」の方からは何も応答がない。
いじめて、いじめて、いじめ抜いて、
とうとう殺してしまったんだろうか・・・
いや、感性は死なない。
ただ、頑なに押し黙っているのだ。
あんなに自虐すればムリもないと思う。
だから、もう決して、
感性を萎縮させるような責務感は負わない。
そう強く決心した、今日このごろである。
おしまい