傷だらけのブーメラン
2019年 06月 06日
学生さんにとっては初めての自由課題であり、
言うなれば処女作のようなものである。
そんなデリケートな作品を評価するというのは、
とても責任重大だけど、かと言って遠慮して、
何も言えない講評なんてそれこそ不毛だ。
そう割り切って、どんどんコメントした。
「設置場所との関係性を考えた方が良いかも」
「このテーマは意外と歴史が古いんだ」
「意図されないサンプリングは搾取的」
などなど、午後の時間いっぱいかけて、
頭は熱っぽく、妙に寝つけなかった。
昼間発した自分の言葉が脳内でリフレインして、
そのすぐあとに厳しいツッコミが響く。
「そういうオマエは常に設置場所を考慮してるか?」
「事前にちゃんとリファレンスしているか?」
「Googleの画像検索とかは利用しないのか?」
「オマエはどうなんだ?オマエの作品はよぉ!」
必死に眠りにつこうと試みるも、
時間が経つほどに目がガンガン冴えてくる。
やむなくベッドから抜け出ると、台所へ行き、
コーヒーを淹れる。
深夜2時、
格別熱いやつをズズズとすすりながら、
「講評って・・・業が深いな」
と、痛感するのであった。
以来、頭の中のメインテーマ曲は、
西城秀樹の「ブーメラン・ストリート」。
ブーメラン ブーメラン
ブーメラン ブーメラン
きっとあなたは戻ってくるだろう
必ずや自分の元にもどってくる。
だからこそ、
批評を媒介に生徒と講師が負荷をかけ合い、
少しずつ互いの作品が深化していくというのが、
本来の理想的姿なんだろう。
自分が彫刻科3年生だった頃はどうだったか?
俺の同学年は自由制作になったとたん、
皆いっせいにハイクオリティな制作を始めた。
一体その知識をどこで仕入れてきたのか、
高度な加工技術と素材を駆使する周囲を見て、
「え…君らこないだまで粘土こねてたじゃん…」
と、すっかり置いてけぼりをくらった俺は、
ゴミに無理やりリボンを結んだような駄作を提出し、
おっかない講師陣からビシビシ酷評された。
いや、酷評はおろか、ほぼスルー状態で、
俺は「黙殺するくらいならいっそ殺してくれ!」
と拳を握りしめるだけの、ただのボンクラだった。
それから十数年後、
再び大学にもどる事になるとは夢にも思わず、
これもまた、ブーメラン。