
先週木曜、彫刻科3年生の作品講評があり、
俺も非常勤として参加させていただいた。
学生さんにとっては初めての自由課題であり、
言うなれば処女作のようなものである。
そんなデリケートな作品を評価するというのは、
とても責任重大だけど、かと言って遠慮して、
何も言えない講評なんてそれこそ不毛だ。
そう割り切って、どんどんコメントした。
「設置場所との関係性を考えた方が良いかも」
「このテーマは意外と歴史が古いんだ」
「意図されないサンプリングは搾取的」
などなど、午後の時間いっぱいかけて、
計27の作品と向き合い、言葉を尽くした。

その夜。
頭は熱っぽく、妙に寝つけなかった。
昼間発した自分の言葉が脳内でリフレインして、
そのすぐあとに厳しいツッコミが響く。
「そういうオマエは常に設置場所を考慮してるか?」
「事前にちゃんとリファレンスしているか?」
「Googleの画像検索とかは利用しないのか?」
「オマエはどうなんだ?オマエの作品はよぉ!」
必死に眠りにつこうと試みるも、
時間が経つほどに目がガンガン冴えてくる。
やむなくベッドから抜け出ると、台所へ行き、
コーヒーを淹れる。
深夜2時、
格別熱いやつをズズズとすすりながら、
「講評って・・・業が深いな」
と、痛感するのであった。
以来、頭の中のメインテーマ曲は、
西城秀樹の「ブーメラン・ストリート」。
ブーメラン ブーメラン
ブーメラン ブーメラン
きっとあなたは戻ってくるだろう

言葉もまた、ブーメランらしい。
他人に放った一言一言は、時間差こそあれ、必ずや自分の元にもどってくる。
だからこそ、
批評を媒介に生徒と講師が負荷をかけ合い、
少しずつ互いの作品が深化していくというのが、
本来の理想的姿なんだろう。
自分が彫刻科3年生だった頃はどうだったか?
俺の同学年は自由制作になったとたん、
皆いっせいにハイクオリティな制作を始めた。
一体その知識をどこで仕入れてきたのか、
高度な加工技術と素材を駆使する周囲を見て、
「え…君らこないだまで粘土こねてたじゃん…」
と、すっかり置いてけぼりをくらった俺は、
ゴミに無理やりリボンを結んだような駄作を提出し、
おっかない講師陣からビシビシ酷評された。
いや、酷評はおろか、ほぼスルー状態で、
俺は「黙殺するくらいならいっそ殺してくれ!」
と拳を握りしめるだけの、ただのボンクラだった。
それから十数年後、
再び大学にもどる事になるとは夢にも思わず、
これもまた、ブーメラン。