新進気鋭の作家としてご活躍中の、
中谷さんや木村さん。彼ら新任の講師陣による、
多摩美彫刻科・後期授業が始まっている。
アート業界に広く通用する若手作家を育てるため、
とことんまで詰め込まれたカリキュラムと、
様々なメディアを横断する多彩なゲスト講義。
非常勤である俺は、その充実した授業風景を、
大きな栗の木の下からソッとながめながら、
「が、学生にもどりてぇー・・・」
とハンカチを噛みしめている。
彫刻科がなんだか面白いことになってきた。
美術館であれ、オルタナティブスペースであれ、
卒業後様々な場所で展示するであろう学生達に、
制作の技術から企画、設営、映像編集に至るまで、
展示にまつわる知識を惜しげもなく披露しており、
そんな現場に居合わせてる自分は幸運だ。
普段は介護仕事でヘトヘトになってるこの心身も、
なぜか木曜は、木曜日だけはシャキン!と覚醒し、
今日はどんなことが起きるだろうか。
どんな会話ができるだろうか。
と、体の全細胞が清原のようにソワソワし始める。
よほどクリエイティブな環境に飢えてるみたい。
自分にとって、学生さんとの対話は何より大事だ。
最近だと「君はこれを読んで。君はこれを観て」と、
オススメの本や映画のDVDを渡して回り、先日は、
自分の借りてるアトリエに連れて行ったりもした。
作品や自分の事を話す学生さんはまぶしい。
持ちかけられた相談は親身に聞くけど、頭の片隅では、
「ああこの学生さんなら大丈夫だ」と確信してたりする。
わざわざ話を聞きに来る、その行動一つ取っても、
社交性、好奇心、情熱、真剣さという点において、
その子はぜんぜん大丈夫だ、と思う。
たとえば今後、どんな講義の後にも、
バシバシ質問するような生徒が少しずつ増えていけば、
彫刻科の風通しも良くなるし、きっと面白くなる。
だからもっとみんな、
手を挙げて質問しまくったらいいと思う。
ディスカッションしたり、時にはケンカもし。
そこから更に深い絆が生まれたり…って昭和的か。
自ら選んで「表現」を学ぶ大学に入ったわけだし、
思春期むかえたばかりの男子中学生みたいに、
斜に構えたポーズでダンマリを決める必要はない。
人生は一回きりだし、死ぬ時は皆ひとりだ。
20代の集まり特有のクールな同調圧力など一蹴し、
気になる先生やゲストにしつこく食い付いていくべき!
と、思う。
なんだか昔の自分に言い聞かせているみたい。
学生当時の自分はやはり、いらぬプライドのせいで、
同期はもちろん、先生や非常勤や先輩の事まで敵視し、
アートを理解できない不学コンプレックスから、
「現代アートとかキモい」「難解ぶってアホ臭くね?」
などと周囲に毒を吹聴しては足をひっぱっていた。
そして、そういう自分の甘えきったグチを、
いつもウンウンと聴いてくれる友人には感謝もせず、
それも当然とばかりに過ごしていたな。
そんなおめでたいボクちゃまが、卒業後、
橋本のアパートから高円寺に引っ越す事を決めた時、
業者に依頼する費用が足らずにメソメソしていたら、
大勢の彫刻科生が示し合わせて集まってくれて、
引越しを手伝ってくれた(荷物の梱包から!)。
「そうだった俺、わりと愛されてたな・・・」
あれから10数年を経て大学に戻り、
イイオ食堂でキツネうどんをすすっている時、
助手さんと学生が汗ダクで搬入している姿を見た時、
ふと俺の頭にフラッシュバックするのは、そういう、
友人達に助けられてきた思い出。
それを卒業以来、ほとんど忘れていたのは、
ずっと頭にエゴが巣食っていたからかもしれない。
このエゴというシロモノは・・・じつに厄介だ。
「万能感」と「無能感」の両極を上下するだけで、
人間の広大な中間域(ウマミ)には気づかぬエゴ。
人として成熟できないのはこの「エゴ」という、
承認欲求の塊があるせいだ。
なので、改めて言わせていただくなら、
先生、非常勤の先生、助手さん、先輩方、同期の皆様、
学生の時は本当にお世話になりました・・・
そして本当にご迷惑をおかけしました・・・
嫌な思い、傷つけてしまった友人も数えきれません・・
本当に申し訳ありませんでした・・・
大学からの帰り、八王子行きバスに乗車しているとき、
こんな懺悔とともに懐かしき帰属意識に包まれたなら、
今まで自分が関わってきた彫刻科の人々を、
ポワ〜ンポワ〜ンと思い浮かべて、
「サンキューねぇ…マジでサンキューねぇ…」
と謎のサンキュー脳波を送りまくるのだ。
人として少し残念な感じもするが、夕暮れ時は大抵、
そうせずにはいられないくらい厳かな心持ちになる。
広々とした多摩美の中で、
なぜかいつも彫刻棟だけWi-Fiが繋がりにくいが、
それはたぶん俺の脳波が妨害しているせいだろう。
「サンキューねぇ…マジでサンキューねぇ…」