「本一冊一冊に別れを告げる三宅感」
今月末、
別のマンションに引っ越すことになり、
家の荷物を整理している。
奥さんはほとんど物を持っておらず、
家にあるのはほぼ俺の私物である。
何年もかけて増殖していった大量のCD、
レコード、映画のDVD、そして本、本、本…。
どれも選りすぐりの名作群ではあるけれど、
「えいや!」とばかりにそのほとんどを、
近所の古書店やCDショップに買い取ってもらった。
その総額は20万近くにもなり、さっそく、
長年使ってたプラ製のキモい台所用品、キモPC、
キモくひしゃげた棚やキモいソファーを捨て、
少々高いけど耐久性のある調度品にチェンジ。
物を減らしていきつつ、
生活全般のクオリティは上げていく作戦だ。
ついでに昔描いた作品や文章や写真も捨てて、
高価な録音機材やカメラなどは友人にあげた。
「無音空間にやすらぐ三宅感」
段ボール何十箱にも及ぶ大量処分となったので、
初めは「喪失感のあまり死にたくなるかも…」
と心配したがそんなこともなく、むしろ、
物がなくスッキリとした空間に、
どこまでもクリアーな心だけが残った。
景色を眺めていても、人と話していても、
色や音の輪郭がクッキリ見えるほど、頭は明晰。
ここ5ヶ月ほど患っていた原因不明の首コリも、
徐々にではあるけど和らいできた感じだし。
いろんな意味で重荷だったのかもな、と思った。
ここまで踏ん切りがついたのも、今年に入って、
学生さんのみずみずしい感性に刺激された事や、
唐突な身内の不幸を経験した事が大きい。
「もし自分が死んだらこの持ち物は手元を離れ、
人の手に渡ったり、捨てられたりするんだな。
それなら「俺の物、俺の物」と囲い込むより、
若い世代と共有した方がよっぽど幸せだな。
そもそも、この痩せっぽちな体も含めて、
本当に自分の物といえる物は何一つないんだ」
そんな感慨が身に沁みた一年でもあった。
今はなんだか「所有」という概念そのものが、
一番の大荷物に思えてならない。
物を捨てるとき、一瞬ウッ!となる、
あの分離不安のような痛みさえ乗り越えれば、
その後は何を捨てたか一々思い出したりはしない。
だから、ゆっくりとゴミ袋に物を入れてみて、
改めて脳内でウッ!の感覚を再現・検証してみた。
すると、
捨てる瞬間明らかに、幼少時の俺が顔を出し、
必死に抵抗している事がわかった。
「捨てるのか…ボクの宝を、捨てるのか!!」
小脇に抱えた抜き身で、
今にも突進して来そうなほどの殺気だ。
俺がなだめるように、
「どうして捨てちゃダメなの?」と問いかけると、
幼児の俺は怒り気味に答える。
幼「ボク今まで高尚な本や音楽や映画をいっぱい、
たしなんで来たんだぞ。ここにあるのは、
その証拠なんだぞ」
俺「すごいねえ、いっぱい集めたんだねえ。
でも、見終わったなら売ればいいじゃない。
いつまでも持っている必要ある?」
幼「誰かが家に遊びに来た時、自慢できるもん」
俺「そっか。でも、誰も遊びに来た事ないよね」
幼「う・・・」
俺「君は美術作家を志しているんだっけ?」
幼「そうだい。だからここの本やDVDは全部、
自分が制作する時の参考資料でもあるんだい」
俺「そんなの図書館で借りたら?」
幼「う・・・」
俺「それにここにあるのは全て他人の作品で、
君の作ったものは一つもないんだよ?」
幼「わかってら!そんなこと」
俺「こんなに表現の最高峰に包囲された部屋で、
自分の作品に全力を注ぐ事なんて出来るの?」
幼「そ…それは、でも、もう集めちゃったし」
俺「そんなに怖い?捨てるのが」
幼「・・・うん、怖い」
俺「君が捨てることに臆病なのは、無意識で、
自分が捨てられるんじゃないかっていう不安が…」
幼「フギャーン!!(号泣)」
などと、メンドくさい独り問答でもって、
ジリジリと己を問い詰めて行かないかぎり、
俺は本一冊、手放せやしない。
そんな父の茶番には目もくれず、
うちの息子は実にいさぎよくポンポンと、
ヒーローや怪獣人形を捨ててしまうのであった。
美術作家・三宅感のブログです
by kan miyake
カレンダー
S |
M |
T |
W |
T |
F |
S |
|
|
|
|
|
1
|
2
|
3
|
4
|
5
|
6
|
7
|
8
|
9
|
10
|
11
|
12
|
13
|
14
|
15
|
16
|
17
|
18
|
19
|
20
|
21
|
22
|
23
|
24
|
25
|
26
|
27
|
28
|
29
|
30
|
31
|