ただ独り歩め

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なんか辛らつな内容になっちゃうので、
俺の顔変形画像はさみながら書きますね。

一昨日、3年生最後の講評に参加して、
今年度の非常勤生活はひとまず終了。
どの生徒さんに対しても、
空気は読まずにホンネをぶつけた結果、
いつもながらの満身創痍。

夜になると頭の中でいつもの声、

「三宅ごときが偉そうに。
そういうお前の作品はどうなんだ?
講評のコメントは的確だったのか?」

と、問いかけてくる脳内評論家。

ああ、
このブーメランはしゃーない。講評後、
いつだって一番傷だらけなのは学生だし、
俺はこの自問自答を抱きしめねば。
そもそも自分の発したコメントに反省など、
その守りに入る性根こそイヤらしい!

それにしても、
その態度はどうなんだろうって思う学生も、
わりといる。毎回だけど。

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講評中、ふとまわりを見渡してみれば、
とおく離れた場所でお仲間同士固まって、
作品と関係ない話をくっちゃべる生徒達。

自分の講評を終えた安心感からか、
他の生徒の講評には耳も貸そうとしない。
そんな彼ら・彼女らを眺めながら、俺は、

「あの子たちの事まで、
配慮してあげる必要あるのか?」

と、疑問に思ったのだった。

彫刻科の先生方はそれぞれ、
いかにして学生たちの作品と向き合うか、
一人一人の個性や精神面、作品傾向に応じて、
どんなアプローチが最良かを、それこそ、
頬がこけるほど悩みながら模索しているよ。

マジで。

その姿を陰ながら見てきた自分としては、
それに相反するかの如くやる気のない生徒に、
なんだか悲しい気持ちになった。

というか、くやしかった。

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先生の中には今年度で退任されるため、
3年生にとって最後の講評となる先生も、
お二方参加されていた。もちろん、
そのラストアドバイスをどう受け取るかは、
生徒次第。実直に受け取るも良いし、
反面教師で受け取るのもまた、自由だ。

自分としても、
笑いが飛び交う講評は楽しい。

生徒が横で意見を交してる姿もステキだ。

どんどん開かれた彫刻科になってほしい、
って思う。

でも、わざわざ後ろの方に行って座り、
先生の話を聞きもせずにスマホを見たり、
関係ない内輪の話で盛り上がったり、
そんなの自分ちに帰ってすれば良いわけで。

3年最後の講評くらい、しっかり聞こうよ。

見るに見かねた先生が声をかけた時だけ、
ダリ〜って感じでワラワラ集まるのに、
数分するとまた分散していって、
遠くでワチャッとくっつく感じとか、
どこの分子モデルだよ。

講評終了後、
先生達はみな優しくて指摘しないので、
たかだか三宅感が全員の前で伝えました。

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何だろう。
大学を中学校だと思ってるのかな。
やる気ないなら誰か俺と代わってくれよ。
俺、生徒に戻って木村先生の講評とか、
一から受けたいよ!

みんな3年生も終わるというのに、
他人の講評を自分事のようには思わず、
いつだって出来るはずのおしゃべりや、
スマホの閲覧を優先しながら、これからも、
貴重な時間をすり減らして行くんかい。

本当に?

仲良し同士で?

そうですか。クソが!

それはおよそ友情と呼ぶにはほど遠い、
周囲へ合わせるのに必死な魚群の様ですね。

俺が彫刻の学生だった頃、アーティストの、
村上隆さんが講義しに来た事がありました。

日本美術の内閉性を煽るような講義内容に、
チキンの俺が教室を出て行こうとしたら、
同じ彫刻科の関口光太郎君に、

「否定するならまず最後まで話を聞け」

と、静かに怒られましたよ。
同い年なのにメチャクチャ怖くて、
厳しかったです。

こういうのを友達って言うんだと思います。

だから、そういう友達が見つからない間は、
いっそ独りでいた方が良いです。

表現と向き合う怖さを、
群れあいの中でヘラヘラごまかす位なら、
独りになって反芻してる人のほうが、
よっぽど作家としても、人としても、
魅力が増しますよ。

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そして実際、
作品と切実に向き合っている3年生が今、
どんどん抜きに出て来ていて、
来年はどんな4年生になるだろうかと、
自分としては楽しみでしょうがないです。

彼ら・彼女らは他の生徒の講評も、
まるで自分事のようにハラハラ聞いてるし、
普段から群れずに黙々と制作しています。

表現したい事がわからず途方に暮れたり、

様々なメディアを使って試行錯誤したり、

毎日しつこく先生に疑問を投げかけたり、

あえて自分の苦手なテーマに挑んだり、

全身を使って内的表現を試みたり、

部屋に引きこもって学校が怖くなったり、
しています。

こんなに「美しい葛藤」を見せられて、
なるほどねーで済ますほどの、
先生たちではないはず。皆作家だから。

俺も含め、おそらく全ての作家にとって、
こういう腹の据わった若者というのは、
自分自身を映し出す鏡のような存在ですね。

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人類の長い歴史の中で、
世界の偉人たちもまた「友達のあり方」
について言及してきました。

ブッダの「スッタニパータ」
を引用しますね。岩波文庫から出ています。

「第一 蛇の章40
仲間の中におれば、休むにも、立つにも、
行くにも、旅するにも、つねにひとに
呼びかけられる。他人に従属しない独立自由
をめざして、犀(サイ)の角のように
ただ独り歩め。

45
もしも汝が、
〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉
を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、
こころ喜び、気をおちつかせて、
かれとともに歩め。

46
しかしもしも汝が、
〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉
を得ないならば、譬えば王が征服した国を
捨て去るようにして、犀の角のように
ただ独り歩め。

47
われらは実に朋友を得る幸を讃め称える。
自分よりも勝れあるいは等しい朋友には、
親しみ近づくべきである。
このような朋友を得ることができなければ、
罪過のない生活を楽しんで、
犀の角のようにただ独り歩め。」

(ブッダのことば/中村元訳/岩波文庫)

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次は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」
を引用しますね。中公文庫から出ています。

「ああ、すべての隠栖者にとっては、
落ちこむべき深淵があまりに多くある。
それゆえ、隠栖者は、せつに一人の友と
その友の高みとを憧れ求めるのだ。

他者にたいするわれわれの信仰は、
われわれが自分の内部にあるものとして
何を信じたがっているか、その内容を
暴露する。友へのわれわれの憧れは、
われわれの秘密の暴露者である。

人は、友への愛によって友への嫉妬を
飛び超えようとすることがしばしばある。
また自分が攻撃されやすい弱さをもつことを
隠すために、攻撃し、敵をつくることも
しばしばある。

(中略)

君は君の友にとって、濁りのない空気であり
孤独でありパンであり薬剤であるだろうか。
自分自身の鎖を解き放つことができなくとも、
友を解き放って救うことのできる者は、
少なくないのだ。

(中略)

おお、男子たちよ、
君たちの魂の貧しさ、貪欲さはどうだ。
君たちが友に与えるだけのものを、
わたしは敵にも与えよう。
そうしたからといって、より貧しくは
ならぬつもりだ。
世に仲間のよしみということはある。
願わくば真の友情があってほしい。」

(ツァラトゥストラ/手塚富雄訳/中公文庫)

多摩美彫刻科3年生の皆さん、
本当におつかれさまでした!!

by kan328328 | 2019-12-14 22:11 | アート

美術作家・三宅感のブログです


by kan miyake
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