彫刻科生徒全体の忘年会に呼ばれた。
非常勤で呼ばれたの俺だけみたい。
ならば学生に散々作品を見せてもらった、
そのお礼として出し物でもしようと思った。
当日の朝9時にアトリエへ行って、
コンセプトを決める。己をさらけ出すような、
なるべく「俗悪で恥ずかしい感じ」にしよう。
そうする事でこの一年間、生徒作品に対し、
上から目線で吐きまくった自分の批評を、
高めのレシーブで地面に叩きつけるのだ。
「お前に講評など10年早いわ!バシィッ!!」
と。
小学生になろう、と思った。そして、
「僕を一年生からやり直させて下さい」と、
皆に懺悔して周るパフォーマンスだ。
小学生といえばランドセル、リコーダー、
瞬足シューズ、黄色い通学帽だ。さっそく、
スチロールでこれら造形物を切り出し、着彩。
乾かしてる間にハードオフ行って衣装を買う。
「下品なピンク、下品なヒョウ柄、
とにかく下品でコーディネートせねば」と、
この時点で小学生というコンセプトを忘れ、
しこたまピンクの衣服とアイテムを買う。
レジのおばさんの視線が露骨に刺さる。
アトリエに戻ると造形物をバイクに乗せ帰宅。
奥さんに「ケバメイクよろしく!」と頼んで、
化粧してもらった。
そして、午後3時。ちょうど、
6時間きっかりで終わった事に満足しつつ、
ランドセルを背負って鏡の前へ立つ。
そこには、
奇妙に老けた小学生が立っていた。いや、
「学生」と言うにはあまりにおこがましい、
グロテスクに疲れはてたオッサンだ。
正直、
この格好で電車に一時間乗るのはキツいな…
と思った。
気合を入れるため、
YouTubeでFKAツイッグスの曲をかけつつ、
冷やしてあった安焼酎をグイグイあおる。
飲めば飲むほどに、だんだんと、
「よっしゃ、行ったろまい!」と気合が入り、
やにわにその場で踊り狂ったあと、
闘争心むき出しで家を出ようとする。
と、
絶妙のタイミングで息子が保育園から帰宅。
父親のゴテゴテした身なりを、
まるで汚物を見るような目つきで眺める。
俺がたしなめるように、
「これはパパの表現なんだ」
と説明するも、無視。
だまって自分の部屋に入っていった。
5分後、部屋から出てきた息子に、
「これ読んで」と突きつけられた紙片には、
と、書かれてあった。
やんわりとした絶縁状だ。
「そっか、まだお前にはわからないか…」
と、余裕をかまそうとするも、
酒が入っているせいで急に泣きたくなる俺。
奥さんが、
「パパは真面目にふざけてるんだよ」
とフォローするも「イヤなものはイヤ!」
と、当然の主張をする息子。
俺は深く傷ついて、何もかも、
すべてやる気がなくなって布団に入り、
ふて寝した。
いや、
ふて寝といっても逃避ではなく、
軽い睡眠を取ることによって、
頭の中で良い感じにアルコールが発酵し、
新たな変性意識に入ることを期待した、
ってのもある。
しかし30分後、目覚めてみると、
さっきよりシラフになっていた。
「…俺、なんで全身ピンクなん?」
という疑問とともに、
わけのわからぬ地獄の反問が襲ってきて、
ヘナヘナとその場にへたれこむ。
「どうした笑?」
と、
奥さんが腹を抱えて笑っている。
本当だね。どうしたんだろうね。
俺の36年がこんなブスに集約されちゃった。
「…俺、まちがってる?ねえ、ねえ」
と、しつこく奥さんに食い下がる俺。
「良いんじゃない?やりたいなら…」
そうなのだ。
やりたいなら、やればいい。
…やりたいのか?
36歳で、ピチピチの子供服を着て、
生徒の前に飛び出して行くことが、
本当に俺がやりたかった事なのか?
などと、
一通り自問自答した結果、
「ええい!ままよ」
と外へ飛び出した。
その後、電車に飛び乗ってしまえば、あとはもう全身落伍者のような心持ちで、
「見たけりゃ見てね」
と、腹が決まるもんだな、と思った。
この格好のまま、
帰宅ラッシュの満員電車に揺られる事、
一時間。無事に会場へ到着。
「70名様のお部屋ですね」と案内され、大部屋に入って行ったら、皆にウケた。
良かった。
あと酔っ払って覚えてない。
ボンヤリ記憶してるのは、
生徒と「翼をください」を熱唱していた事。
何やら泣いている生徒に自分の宝物だという、
シルバニアファミリーのネズミをもらった事。
「救われました」
「キショいからあっち行け」
「レジェンド」
「好きです」
「根性すごいすね」
「パンツが気になって会話が頭に入らない」
と、
皆のコメントが頭の中でグルグル周り、
ああ、こんなカオスにまみれて死ねたなら、
どんなに恥ずかしくて幸せだろうと思った。
気づくと終電が近づいていて、
あわてて会場を出た。
ランドセルもリコーダーも通学帽も、
生徒が欲しがるので全部あげてしまった。
そして、身ぐるみ剥がされた俺は、
ただのケバいオッサンとして帰宅した。