濃厚接触ポイズン野郎
2020年 04月 20日
[多摩美彫刻科新入生に配信する自己紹介ムービー。俺は1人3役を演じた]
コロナ、コロナ、コロナ。
こんなに何日も部屋にこもりきりだと、
まるで塔の上のラプンツェルみたく、
囚われの身にでもなった気分。
外はすっかり春めいているというのに、
「外出するな、人に近づくな、物に触れるな」
じゃ、気が滅入ってたまらない。何より、
自分自身と濃厚接触し過ぎて吐き気がする。
家の赤ん坊は毎日オギャアオギャアと泣き、
「親父もっと稼いでこい。将来不安なんじゃ」
と、訴えてくる。
だから俺、もっとがんばらないと。
家族が生活できるギリギリの収入は保ちつつ、
休日は心を鬼にしてトガッたアートを作る。
今まで、わりとそうしてきたつもり。
気を抜くとついまわりと比較したくなる癖も、
少しは克服できたような気もするし、
「みんなの笑顔や家族のために作る」という、
美談でエゴをコーティングしたくなる罠にも、
なんとかハマらずにやって来れた。
そうして、
かれこれ作家活動を4年間続けてきたけれど、
もう少しこのひねくれた性格を直さない限り、
パパはこの先も食えないだろう、ゴメン娘よ。
天の啓示を受け32歳で美術デビューした俺は、
未だ自分の作品に値段を付けたこともなく、
制作すればするほど、展示をすればするほど、
家計は傾いていくし、自分を出せば出すほど、
お金も友達もどんどん離れていくよ。
無くならないのは自分の制作意欲だけ、
だからホントに、鬼火のように揺らぐ、
この得体の知れない狂熱は何なのか。
生活が追いつめられるほど燃える感じ、何なん?
アマノジャクなん?貧乏性なん?変態なん?
こんなに生活が不安定なままで、俺、
「美術作家」を名乗り続けてても良いんかね。
このまま批評も成り立たぬ物体を作り続けて、
勝手に「アート作品」って呼んでても良いん?
そしてここ数ヶ月、日を増すごとに、
下品でチープでペラい表現がしたいという、
謎の欲求も高まってきており、これまた意味不明。
昔はもっと、
自分の深い悩みを誇示できるような、
シリアスでザラッとした暗いテクスチャーを、
こよなく愛してた。それはタルコフスキーや、
ラッセル・ミルズみたいに元素崇拝的な色調で、
ロシア・イコン画のように朽ちた神聖さだ。
そこに「悩んでる俺」を投影しつつ、
敬虔なクリスチャンのごとくウットリできたよ。
なのに、ある日突然、
「え、何なりきってんの笑?」
というシニカルな自己評価に襲われた。
そのとたん、価値観がクルッと一転して、
今度は、
パリピの蛍光色とか、コンビニのBGMとか、
ドンキのギラギラしたLEDとか痛車とかの、
狙いと真逆の印象を与えちゃってるのに、
それを自覚しないダサさこそ「リアル」だ、
と気づいてしまった。
気づきたく、なかった・・・けど、
「リアル」と「好き」は別物みたい。
たとえば、
エッジの効いた細かいディテールのフォント、
器用な変拍子に自意識過剰なつぶやきを乗せた、
日本のミクスチャーロックが今の若者の心を、
丸ごと代弁してくれるように、
俺にとっての「リアル」は礼拝堂にはなく、
マルエツの揚げ物コーナーとかにこそあるのだ。
くやしいくらいの俗物性…
まさか、聖タルコフスキーから、
揚げものコーナーに異動させられるなんて!
でも、だからこそ、サヨウナラ。
結局のところ、
俺の実生活に何らフィードバックのなかった、
キリスト教に基づいた崇高なる苦悩文化よ、
サヨウナラ。
君はカッコ良くて憧れの存在。だけど、
庶民の俺にはどうやら不釣り合いだったみたい。
俺はただ、
生活にしっかり根差した表現がしたいだけ。
だから、同じ土着であっても、
ドストエフスキーに憧れすぎた島崎藤村みたく、
自分が深刻ヅラしたいってだけで土着を選ぶなら、
死と性と俗を怖いくらいに並列させた深沢七郎に、
うすら笑いのリアリティーを感じていたい。
だからどうか、この胸に広がる感受性よ。
僕の作品が「既視感ハンパない日本的キッチュ」
に堕する危険から守って下さい。そして、
見たことのない境地まで連れて行ってください。
などと、
いかにも生活と相性の悪い抽象思考が、
ここ数日頭ん中をグルグル回っているので、
泣いてる赤ん坊を前にすると妙に後ろめたい。
「こんなパパでゴメン・・・」
こないだもその手の罪悪感に駆られ、
ネットで赤ちゃんが泣き止む方法を検索した。
そしたら、
「反町隆史のポイズンを聴かすと泣き止む」
という情報が出て来た。
冗談はよせよと思いつつ、
試しにYouTubeを開きポイズンをかけたら、
ピタッ!と見事に泣きやんだ。
ビックリした。
俺がいくら、
「どちたの?おなかすいたの?」
と語りかけてもガン無視だった娘がなんで、
反町の歌は素直に聴き入るわけ?気に入らねー。
と思ったけど、それ以来、俺の家ではずっと、
爆音でポイズンが流れている。
太く抑揚のない反町の歌は胃に負担かかるけど、
ずっとエンドレスで聴いていると、少しだけ、
シド・ヴィシャスが歌う「My way」の出だしに、
似てるような気がしないでもない気がしてきて、
いつのまにか、ちょっとだけ、
反町を好きになってる自分に気づくのであった。
ああ、ポイズン!!
by kan328328
| 2020-04-20 21:45
| アート