前期授業が終わってからも時おり、
学生さんが連絡をくれたりする。
進路相談でも、制作上の悩みでも、
話の根っこにはいつも「自分とは何ぞや?」
という、切実な問いが息づいており、
毎回俺の方がたくさんの気づきをもらう。
「自分が何をしたいのかわからない」
という悩みに、俺はいつも、
「急いで作家になろうとせず、
自分のためにジッとしている時間」を、
推奨したくなる。したくなるのだけど、
「相手は未来ある若者だし、
もっと行動をうながすような助言をしろ」
などと、
通俗的な自分も顔を出したりするので、
事はややこしい。
自分は20代の頃、
大金を投入した自主映画が中断した時、
何年間も前にも後ろにも行けず立ち往生し、
「早く実績を残さねば」と焦っては、
空回りしつづけた。
それでも、
「観た人の記憶に一生涯残るような、
衝撃的な作品を作りたい」という、
モチベーションだけは絶やさずにいたが、
そもそも人の記憶に残り続ける物とは、
それがどんなにポジティブな装いであれ、
低温火傷のようにジワジワと何年もかけて、
人の心を傷つけ続けている、という事だ。
そしてそれこそが芸術の意義でもある。
それに気がついたとき、
「なんてメンドくさい世界なんだ…」
と思って、ゲンナリした。
映画の編集はいつまで経っても進まず、
友人は一人また一人と離れて行き、俺は、
「今さら何をしても遅い」という諦めと、
ただただ浪費されていく時間を前に、
なす術なく、毎日眠り続けていた。
バイトがない日などは大抵、
昼前ぐらいにモソモソと布団を抜け出すと、
読書をし(その頃聖書ばかり読んでいた)、
インスタントラーメンなど作って食べ、
満腹になって、また寝る。
再び目が覚めると、外はもう夕暮れ時で、
閉じ続けたまぶたは腫れぼったく、
胃には炭水化物のモタつく未消化感もあり、
そんな不摂生な己が情けなく、またしても、
布団へともぐり込む。
とことん無為の日々であった。

そして、あの頃の記憶が今になって、
制作している時などに不意にギラリと、
根源的な問いを投げかけてくるのだ。
「お前もずいぶん行動力がついた。
講師だか何だか、まるで、
過活動が善であるみたいなツラして。
何かあるとすぐに制作、制作か。
人は何かしてなきゃダメなのか。
「何もしない」じゃダメか。
今お前が生きている、
そのまんまの様子じゃダメか。
外にも出ず、物も作らず、金も稼がず、
ウヌボレもせず、自虐もせず。
比較も、判断も、何なら反応すらしない、
空気のような人間ではダメか。
「世間に恥じぬように生きたい」などと、
せこい目配せは捨てたらどうだ。
来る日も来る日も眠り続ける生活、
下宿で、公園で、晴れた日の土手で、
寝そべっている人生ではダメか」
という問い。
それに対し、俺は、
「ダメではない。むしろできるなら、
流れ続ける水のような生活がしたい」
と、答える。
本当にそう思う。
ただ、水のように生きたい。
それができないのは、
「いやまだまだ!」と飛び出して行って、
何かを証明しようとする自分もいるから。
そうやって風船のように、
エゴを膨らませたり縮ませたりしながら、
これからも生きていくしかないのだ。
美術作家・三宅感のブログです
by kan miyake
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