
〈高崎のマンションに飾られている私のレリーフ作品〉
この4年間ほど、
ノンストップで制作し続けてきて、
発泡スチロールのゴミが15袋近く出た。
なので軽自動車にギュウギュウ押し込み、
ゴミ処理場まで持って行った。
契約書を交わす際、
受付のお姉さんに何のゴミかと聞かれ、
「美術制作で出た発泡です」と答えると、
「ああ〜…」と、渋い反応。
「とりあえずゴミを見せて」というので、
車まで一緒に行き発泡の山を見せた所、
またしても「ああ〜…」の反応。
「発泡は少しでも色が付いてると、
再利用できないし処分も高くなるのよ。
汚れた部分をぜんぶ削ってくれば、
だいぶ安くなるけど、どうする?」
とのことだった。俺は半泣きで、
発泡をアトリエに持ち帰った。
うだるような猛暑の中、
発泡の汚れを一つ一つ削り落とす。
削っても、削っても、削っても!
一向に終わる気配がない。
汗でベタつく体にはまんべんなく、
発泡の白い粉がコーティングされ、俺は、
絶望したミスタードーナツみたいな顔で、
発泡を削って、削って、削りまくる。
アトリエの周囲には夏草が生い茂り、
いたる所にクモの巣が張っているため、
この発泡の処理が終わっても今度は、
大掃除と草むしりもしないと。
ああ。
今年の夏はきっとゴミ処理と、
大掃除とコロナ不安だけで終わるぞ。
夏が。
俺の大好きな夏が。
この地味作業の延長線上にふたたび、
スポットライトを浴びる日は来るのだろうか。
いつかどこかの美術館で「三宅感個展」
が開かれる日は来るのだろうか。
ところで昨夜は疲労困憊していたせいか、
妙に頭が冴えわたり、睡眠中に覚醒した。
気づくと目の前にホワーっと、
生成り色の空間が広がっている。
自分もそこに存在してるけど、同時に、
空間とも一体になってしまったような、
ふしぎなフィット感。
そして地面から、プクッ、プクッ、
と、
小さな泡みたいな物が浮かび上がり、
その発生と連動するかのように、
「あ、今、誇らしい気持ち」
「あ、今、自分に酔う気持ち」
「あ、今、
昔の友人とのイザコザを思い出し、
少しだけ後悔する気持ち」
「あ、今、
芸能人の不倫ネタを検索したいという、
下世話な気持ち」などと、
俺の心に様々な感情が芽生えては、
泡と共にプツンとはじけて消えていく。
どうやら、
自分の感情が生まれてくる現場に、
偶然立ち会っているらしい。
俺はやむなく、感情の泡一つ一つに、
「ウンウン、そっかそっか」
と、うなずきつつ対応していたら、
次第に泡の数も減っていき、
最後はおだやかな空間だけになった。
何も浮かんでこない、静かな心は、
ただひたすらしあわせであった。
そして、俺はこの「感情」という、
秒単位で変化するセツナ的な現象に、
37年もふり回されてきたことを思い、
自分のバカさ加減にクラクラした。