アジアじんのあじ
2020年 07月 27日
大雨とコロナ続きで休日すら楽しめず、
せめてもの悪あがきでタコ焼きを焼いた。
タコだけじゃつまらないと思い、
イカとあげ玉とショウガを生地に混ぜ、
ソースと青のりとかつお節をまぶして、
食べた。
トッピングにはキムチ、明太、チーズ、
粉もの界隈で顔なじみのメンツたち。
ワイワイ騒がしくもまとまりのある、
同窓会のような味になり、旨かった。
ビールと焼酎を呑みつつ、
一個、もう一個とつまんでいると、
なぜか高円寺のガード下が思い出され、
あの雑多な暗い路地がなつかしい。
ひっくり返したビールケースに座り、
何をあんなに熱く語っていたんだっけ…
そのままトロンと意識がなくなり、
いつのまにかベッドで寝ていたらしく、
深夜変な時間に目が覚めると、今度は、
トムヤムクンラーメンを作って食べた。
寝ても覚めても、アジア人である。
酸味と辛味と甘味としょっぱさが、
それぞれ勝手な方向に突き抜けていき、
大事なまん中の味はポッカリ不在。
トムヤムクンは現代アートだ。
ここのところ、
新しい小説が読めなくなった。
「この言い回しで唸らせてやろう」
という作家の作為を年々、
受け付けなくなってきている。つまり、
感性が枯れ始めているらしい。
「いい文章は後にも先にも、
自然体で書かれた物に尽きる」
と、心底信じている自分としては、
作り込まれた物こそ良しとする現代と、
どんどんかけ離れていくようで寂しい。
それでも狙わず、装わず、
ヒマならヒマだと書く自分でありたい。
感じたことをそのまま表現するのは、
本当に難しいからこそ、なおさら。
昔、ネット記事か何かで読んだ、
俳優の柄本明さんのインタビューで、
「劇団東京乾電池の頃は意地になって、
退屈な芝居ばかり作っていた」
というコメントの真意が、
最近ようやくわかってきた気がする。
by kan328328
| 2020-07-27 11:49
| 日常