居場所のなかった誰かへ
2020年 09月 17日
「イニシエーションをしよう!」というか、
「着られる彫刻を作ろう」的なこの課題を、
思いついた理由なんだけども。
去年から多摩美彫刻科の非常勤講師になった俺は、
なぜかどこの専攻にも属しておらず、自分の居場所も、
学生に指導できるような技術的スキルも一切ないまま、
「ならば学生との対話を居場所にしよう」と開き直り、
毎日しつこく学生に話しかけまくっていたのだった。
そのおかげで、
彼らの生い立ちや味わい深いエピソードの数々と、
「そんな難しいこと毎日考えてんの?」ってくらい、
抽象的・哲学的な質問をたて続けに投げかけられて、
俺は無い脳みそこねくり回す、充実の一年を過ごした。
ただその中では、
メンタルを病んでしまっている人もわりといて、
自分もどうやって声をかけたらいいかわからず、
横でうなずくくらいしかできない状況も多々あった。
思えば俺も学生時代には、
毎日ガバガバ抗鬱剤飲みながら登校していたので、
「あの頃の自分だったらどう接してほしかったか」
と、当時の心境をたびたび胸に再現するのだけど、
そうするとやっぱ、気にはかけて欲しかったなと。
「最近どうですか?」と、それだけで良いので。
アドバイスとか励ましとかそういう、
こちら側をどうにか変化させようとしてくる感じは、
軟弱な自分を否定されるみたいでそれはそれで辛く、
何よりこちらが落胆している姿に、
話を聞く相手の目がギラついてくる感じもキッツい。
「じゃあさーいっそ〇〇してみたら?」と、
妙に浮き足立ったトンデモ提案などされた日には、
「てか、俺の不幸で宙に浮いちゃってません?」
と、逆に聞き返したくなるのだった。
メンドクサイ人間なのだった。
多摩美の彫刻科で変わらない風景というのは、
かたや細密な造型を追求する人がおり、
かたやいつものメンツで現代アートを論ずる人達がおり、
かたや専攻の先生と制作時間も作風も寄り添いつつ、
お弟子さん風情になる人がたくさんおり、
そうやって自分の居場所を見つけて、
ピタッと収まることができた人は救われるのだった。
でも、
そのどれにもシックリこない(けれど何か表現したい)
っていう人は、いつも所在なくソワソワしなきゃならず、
俺も学生時代そうやって徐々に病んでいった次第だ。
(彫刻棟行くの怖くなって多摩美へ向かう寿橋の下で、
全裸で自分の感受性を讃える詩を絶叫する日々)
なので、
たとえこの彫刻棟に居場所がなかったとしても、
「作っても作らなくても、とりあえず学校は行こう」
って思える空気作りというか「ここにいてもいいんだな」
と思える場所になったら良い。
そういう流れもあって今回、この授業を思いついた。
とりあえず、頭に食パンでも乗せてみよう。
それで、まだ行けそうなら、
今度は体にホースでも巻いてみよう。
何なら足にバケツをくくりつけて、
ドタドタと歩いてみよう。
そんでその格好のまま、
僕と一緒に橋本駅まで帰りませんか?
作品のクオリティとかは全然求めてないので。
(もちろん完成度を追求したっていいし)
自分は小さい頃から意味もなく、
人前でいろんな物をかぶり続けてきたんだけど、
どうでも良くなる瞬間があるのだ、悩みとかが。
鏡にうつった自分の顔は苦悩しているのに、
頭には赤いバケツが乗っかってるって、
これはもう人生の縮図というか。
というわけで、
ここ数日の俺は原付でそこら中を走り回っては、
ゴミを拾って持ち帰る日々である。そうして、
「おお、レア物めっけー!!」と一人興奮し、
草むらで汚い煙突缶などを抱え上げるサマは、
37歳男性の末路へまっしぐらである。
今、俺のせまい部屋はガラクタで占拠されており、
その一つ一つを風呂場で洗浄している。その尻を、
最近極真空手を習い始めた息子にけっとばされ、
0歳児の娘は泣きわめき、夜は更けていく。
はたして、学生は来るのだろうか?
この授業は後期特別授業の履修登録者でなくとも、
全学年すべての子が出られるフリー授業なのだけど、
こないだ学校行ったら、誰も知らなかったっぽい。
まったくアナウンスが行き渡っていない。か、
皆知らないフリしてるだけだったりして。
(おい、嘘だろ・・・)
by kan328328
| 2020-09-17 09:27
| アート