
〈我が物顔で部屋を占拠するガラクタたち〉
「イニシエーションをしよう!」というか、
「着られる彫刻を作ろう」的なこの課題を、
思いついた理由なんだけども。
去年から多摩美彫刻科の非常勤講師になった俺は、
なぜかどこの専攻にも属しておらず、自分の居場所も、
学生に指導できるような技術的スキルも一切ないまま、
「ならば学生との対話を居場所にしよう」と開き直り、
毎日しつこく学生に話しかけまくっていたのだった。
そのおかげで、
彼らの生い立ちや味わい深いエピソードの数々と、
「そんな難しいこと毎日考えてんの?」ってくらい、
抽象的・哲学的な質問をたて続けに投げかけられて、
俺は無い脳みそこねくり回す、充実の一年を過ごした。
ただその中では、
メンタルを病んでしまっている人もわりといて、
自分もどうやって声をかけたらいいかわからず、
横でうなずくくらいしかできない状況も多々あった。

〈俺にトンガリ部分を切除されたあげく、まったく使用されなかったカラーコーン〉
思えば俺も学生時代には、
毎日ガバガバ抗鬱剤飲みながら登校していたので、
「あの頃の自分だったらどう接してほしかったか」
と、当時の心境をたびたび胸に再現するのだけど、
そうするとやっぱ、気にはかけて欲しかったなと。
「最近どうですか?」と、それだけで良いので。
アドバイスとか励ましとかそういう、
こちら側をどうにか変化させようとしてくる感じは、
軟弱な自分を否定されるみたいでそれはそれで辛く、
何よりこちらが落胆している姿に、
話を聞く相手の目がギラついてくる感じもキッツい。
「じゃあさーいっそ〇〇してみたら?」と、
妙に浮き足立ったトンデモ提案などされた日には、
「てか、俺の不幸で宙に浮いちゃってません?」
と、逆に聞き返したくなるのだった。
メンドクサイ人間なのだった。

〈この赤ちゃんイスを使う猛者は現れるのか〉
多摩美の彫刻科で変わらない風景というのは、
かたや細密な造型を追求する人がおり、
かたやいつものメンツで現代アートを論ずる人達がおり、
かたや専攻の先生と制作時間も作風も寄り添いつつ、
お弟子さん風情になる人がたくさんおり、
そうやって自分の居場所を見つけて、
ピタッと収まることができた人は救われるのだった。
でも、
そのどれにもシックリこない(けれど何か表現したい)
っていう人は、いつも所在なくソワソワしなきゃならず、
俺も学生時代そうやって徐々に病んでいった次第だ。
(彫刻棟行くの怖くなって多摩美へ向かう寿橋の下で、
全裸で自分の感受性を讃える詩を絶叫する日々)
なので、
たとえこの彫刻棟に居場所がなかったとしても、
「作っても作らなくても、とりあえず学校は行こう」
って思える空気作りというか「ここにいてもいいんだな」
と思える場所になったら良い。
そういう流れもあって今回、この授業を思いついた。

〈用途どおりに使用してもらえず、すっかりうなだれたダクト〉
とりあえず、頭に食パンでも乗せてみよう。
それで、まだ行けそうなら、
今度は体にホースでも巻いてみよう。
何なら足にバケツをくくりつけて、
ドタドタと歩いてみよう。
そんでその格好のまま、
僕と一緒に橋本駅まで帰りませんか?
作品のクオリティとかは全然求めてないので。
(もちろん完成度を追求したっていいし)
自分は小さい頃から意味もなく、
人前でいろんな物をかぶり続けてきたんだけど、
どうでも良くなる瞬間があるのだ、悩みとかが。
鏡にうつった自分の顔は苦悩しているのに、
頭には赤いバケツが乗っかってるって、
これはもう人生の縮図というか。

〈この玉虫色した美しい筒はきっと取り合いになるだろう〉
というわけで、
ここ数日の俺は原付でそこら中を走り回っては、
ゴミを拾って持ち帰る日々である。そうして、
「おお、レア物めっけー!!」と一人興奮し、
草むらで汚い煙突缶などを抱え上げるサマは、
37歳男性の末路へまっしぐらである。
今、俺のせまい部屋はガラクタで占拠されており、
その一つ一つを風呂場で洗浄している。その尻を、
最近極真空手を習い始めた息子にけっとばされ、
0歳児の娘は泣きわめき、夜は更けていく。
はたして、学生は来るのだろうか?
この授業は後期特別授業の履修登録者でなくとも、
全学年すべての子が出られるフリー授業なのだけど、
こないだ学校行ったら、誰も知らなかったっぽい。
まったくアナウンスが行き渡っていない。か、
皆知らないフリしてるだけだったりして。
(おい、嘘だろ・・・)

〈HARD OFFでGETしたBODY〉