満足できるかな

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あけましておめでとうございます。

去年からずっとコロナ一色だけど、
自分の生活レベルで見るなら、
わりと静かに過ごすことができている。
仕事以外ではまったく人に会わないので、
奥さん子供二人とのんびり生活。

仕事柄、自宅待機の時間も増えたため、
あらためて日本史・世界史・宗教史を、
先史から現代に至るまで学び直している。
それがとても楽しくて、毎朝4時に起きては、
勉強机でノートをカリカリやっています。
まるで受験生にでも戻った気分。

今まで文脈もわからずに乱読してきた、
古今東西に渡る書物たち。それが今は順を追い、
しっかり歴史にヒモ付いていく感じが快感。

「こんな命がけで書かれた本だったのね…」

の連続。ただ、予想はしていたけど、
歴史と向き合う作業は、今いる自分の日常が、
無数の惨劇の上に成り立ってるという事実を、
一から確認していく作業でもあった。

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史実の中から継ぎ目なく立ち現れてくる、
侵略、略奪、圧政、内乱、大量虐殺の記録。
歴史に名を残した為政者たちの多くが、
大義のためならば親族だろうと幼児だろうと、
殺して、殺して、殺しまくっている。
これはやっぱ、しんどい。

たとえ何百年前の出来事であれ、
たとえ軍記物にウソはつき物とはいえ、
細部を掘り下げていくとどんどん暗くなる。
なので、部屋をハイハイしてる娘を抱き上げ、

「なんか人類って、
いがみ合ってばかりでちゅね…」

と語りかけて、休憩。

しかしまあ、
なんでみんな仲良くできないんだろうか。

これは自戒も込めて書くけど、基本的に、
人は自分のことをわかってほしいのに、
相手のことはわかろうとせず、
相手に変わってほしいとは望むけど、
決して自分が変わろうとはしないのな。

ことに自分の場合、障害福祉と美術という、
人間味の色濃い現場を行き来しているため、
その傾向を感じやすいのかもしれないけど。

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最近は、
「差別のない平等な社会の実現」という、
美しい旗印のもとに続いてきた福祉の職場が、
たった数ヶ月で空中分解する様を見せられ、
人の世のむなしさと、言葉の無意味さを、
つくづく噛みしめております。

「傾聴」

「主体性」

「命の重さ」

「相互理解」

「恒久平和」

「共に生きる」

などなど。耳ざわりのいいスローガンなら、
どこの福祉事務所にもベタベタ貼ってあるけど、
10人そこらの組織で内部分裂してしまうなら、
恒久平和なんて夢のまた夢だよ。

いっそ見せかけの標語コレクションなど、
コンビニのゴミ箱へ捨ててしまおうか。
「〜論」「〜主義」とかの立派な論説と一緒に。
しまえもしない思想の大風呂敷広げる人より、
相手の心に寄り添おうと努力してる人の方が、
よっぽど人間らしくて美しいから。

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それにしても、
イズム。ドグマ。イデオロギー。フハーッ
言葉の解釈のズレだけで敵対しちゃうなら、
何が解決法になるのやら、わからなくなるな。

会議前にヴィパッサナー瞑想をやるとかどう。
徹底的に「正反合」のみで会議を進めるとか。
それか対立したなら全て脳のせいにすればいい。

事実をただの事実として見ることができず、
ついつい主観に曇ったフィルター越しにしか、
世界を認識することのできない、脳のせいに。

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そうだ、ぜんぶ脳のせいにしてしまおう。
独自に意味付けされた脳で他者を品定めするから、
勝手に期待して勝手に失望するハメになるんだし。

勝手に敵認定して、勝手に味方認定して、

勝手に思い上がって、勝手にマウンティングして、

勝手に疑心暗鬼になって、勝手に鬱になって、

勝手に私とは相容れないと見切りを付けて、

勝手にあの人私の事好きかも〜と盛り上がって、

勝手にやっぱ違ったわ死にたいと絶望して、

勝手にあの人は僕を理解してくれると盲信して、

勝手に僕を全然わかってくれないと詰め寄って、

そうやって各々孤独な一人相撲をしながら、
何千年も生きてきた愚かな脳だと諦めたなら、
あとは仲良くするしかないんじゃないか。

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てか、
そもそもそんなにみんな相手を一方的に、
糾弾できるほど清く生きているのかね。

自分は間違っても他人を糾弾などできないな。
懐を叩いてみたならどす黒いホコリが、
バフバフと舞い上がる自信があるし、
救いようのないクソ野郎だという自覚もある。

それでもみんな、
仕事で協力し合わなきゃいけない時くらい、
私情は控えて、より良い環境改善のため、
自分の脳にちゃんと働いてもらおうよ。

俺の脳なんて大抵居眠りしてるか、
もしくは勝手にマイ・ドラマをこしらえて、
自分にウットリしたり、やたら深刻ぶったり、
下手なライターみたくコテコテ脚色したがる、
できそこないのジャンキー脳だけども。

でもそんな末期の脳ミソだって、
事実と被害妄想の区別を付けなきゃいけない、
ってことくらいはわかる。歴史を開けば、
「疑念だけドンドン膨らんでくとヤバいすよ」
って源頼朝とスターリンが教えてくれるし。

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そうやって広く人類史を見渡してみたなら、
割とくり返しが多いってこともわかったな。
ユルユルながらも継続してきたものを、
悪しき停滞ととらえて急激に変えたがる人、
明らかに変化しているものに対して、
意固地になって原型を押し止めようとする人、
いつの時代どの国にも一定数いるじゃんね。

とにかく脳!
人類が気づかないと思って、
お前の満たされない承認のホコ先を、
神や功名心や思想やSNSの「いいね!」に、
こっそりスライドさせるな。人類の行動が、
どうにも代わり映えしないのはお前のせいだ。

脳!

満足できない脳!

満足できるかな。できない!!

脳!

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それでも俺は毎日が楽しい。

家で皿洗いをしている時も楽しい。

手を無心で動かすのが楽しい。

アトリエの草をむしり、防草シートを敷き、
息子の空手に付き合い、学習ノートと向き合い、
木を削って鬼滅の刀を作り、毎日が楽しい。

誰かに「俺が俺が」と主張することもなく、
ただ木を削る感触にだけピントが合っていて、
「これでいいんだな」と思えてくる瞬間が、
何より楽しい。

10代から20代にかけて、
頭の中にモヤモヤとただよっていた、
文化的でほの暗いムードのようなものは、
とうの昔に捨てた。

今は、空っぽ。

頭の中にも家の中にも、ほとんど物がない。
ゲームもテレビもジュースもおやつも、
脳が喜ぶ嗜好品の類は何一つ置いていない。
それでも、
息子の友達は毎日ワラワラ押しかけてくる。
そして皆で部屋中ドタバタ駆けまわり、

「ほんとこの家、何にもないよねー!」

って喜んでいる。

by kan328328 | 2021-02-01 01:21 | 日常

美術作家・三宅感のブログです


by kan miyake
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