満足できるかな
2021年 02月 01日
あけましておめでとうございます。
去年からずっとコロナ一色だけど、
自分の生活レベルで見るなら、
わりと静かに過ごすことができている。
仕事以外ではまったく人に会わないので、
奥さん子供二人とのんびり生活。
仕事柄、自宅待機の時間も増えたため、
あらためて日本史・世界史・宗教史を、
先史から現代に至るまで学び直している。
それがとても楽しくて、毎朝4時に起きては、
勉強机でノートをカリカリやっています。
まるで受験生にでも戻った気分。
今まで文脈もわからずに乱読してきた、
古今東西に渡る書物たち。それが今は順を追い、
しっかり歴史にヒモ付いていく感じが快感。
「こんな命がけで書かれた本だったのね…」
の連続。ただ、予想はしていたけど、
歴史と向き合う作業は、今いる自分の日常が、
無数の惨劇の上に成り立ってるという事実を、
一から確認していく作業でもあった。
史実の中から継ぎ目なく立ち現れてくる、
侵略、略奪、圧政、内乱、大量虐殺の記録。
歴史に名を残した為政者たちの多くが、
大義のためならば親族だろうと幼児だろうと、
殺して、殺して、殺しまくっている。
これはやっぱ、しんどい。
たとえ何百年前の出来事であれ、
たとえ軍記物にウソはつき物とはいえ、
細部を掘り下げていくとどんどん暗くなる。
なので、部屋をハイハイしてる娘を抱き上げ、
「なんか人類って、
いがみ合ってばかりでちゅね…」
と語りかけて、休憩。
しかしまあ、
なんでみんな仲良くできないんだろうか。
これは自戒も込めて書くけど、基本的に、
人は自分のことをわかってほしいのに、
相手のことはわかろうとせず、
相手に変わってほしいとは望むけど、
決して自分が変わろうとはしないのな。
ことに自分の場合、障害福祉と美術という、
人間味の色濃い現場を行き来しているため、
その傾向を感じやすいのかもしれないけど。
最近は、
「差別のない平等な社会の実現」という、
美しい旗印のもとに続いてきた福祉の職場が、
たった数ヶ月で空中分解する様を見せられ、
人の世のむなしさと、言葉の無意味さを、
つくづく噛みしめております。
「傾聴」
「主体性」
「命の重さ」
「相互理解」
「恒久平和」
「共に生きる」
などなど。耳ざわりのいいスローガンなら、
どこの福祉事務所にもベタベタ貼ってあるけど、
10人そこらの組織で内部分裂してしまうなら、
恒久平和なんて夢のまた夢だよ。
いっそ見せかけの標語コレクションなど、
コンビニのゴミ箱へ捨ててしまおうか。
「〜論」「〜主義」とかの立派な論説と一緒に。
しまえもしない思想の大風呂敷広げる人より、
相手の心に寄り添おうと努力してる人の方が、
よっぽど人間らしくて美しいから。
それにしても、
イズム。ドグマ。イデオロギー。フハーッ
言葉の解釈のズレだけで敵対しちゃうなら、
何が解決法になるのやら、わからなくなるな。
会議前にヴィパッサナー瞑想をやるとかどう。
徹底的に「正反合」のみで会議を進めるとか。
それか対立したなら全て脳のせいにすればいい。
事実をただの事実として見ることができず、
ついつい主観に曇ったフィルター越しにしか、
世界を認識することのできない、脳のせいに。
そうだ、ぜんぶ脳のせいにしてしまおう。
独自に意味付けされた脳で他者を品定めするから、
勝手に期待して勝手に失望するハメになるんだし。
勝手に敵認定して、勝手に味方認定して、
勝手に思い上がって、勝手にマウンティングして、
勝手に疑心暗鬼になって、勝手に鬱になって、
勝手に私とは相容れないと見切りを付けて、
勝手にあの人私の事好きかも〜と盛り上がって、
勝手にやっぱ違ったわ死にたいと絶望して、
勝手にあの人は僕を理解してくれると盲信して、
勝手に僕を全然わかってくれないと詰め寄って、
そうやって各々孤独な一人相撲をしながら、
何千年も生きてきた愚かな脳だと諦めたなら、
あとは仲良くするしかないんじゃないか。
てか、
そもそもそんなにみんな相手を一方的に、
糾弾できるほど清く生きているのかね。
自分は間違っても他人を糾弾などできないな。
懐を叩いてみたならどす黒いホコリが、
バフバフと舞い上がる自信があるし、
救いようのないクソ野郎だという自覚もある。
それでもみんな、
仕事で協力し合わなきゃいけない時くらい、
私情は控えて、より良い環境改善のため、
自分の脳にちゃんと働いてもらおうよ。
俺の脳なんて大抵居眠りしてるか、
もしくは勝手にマイ・ドラマをこしらえて、
自分にウットリしたり、やたら深刻ぶったり、
下手なライターみたくコテコテ脚色したがる、
できそこないのジャンキー脳だけども。
でもそんな末期の脳ミソだって、
事実と被害妄想の区別を付けなきゃいけない、
ってことくらいはわかる。歴史を開けば、
「疑念だけドンドン膨らんでくとヤバいすよ」
って源頼朝とスターリンが教えてくれるし。
そうやって広く人類史を見渡してみたなら、
割とくり返しが多いってこともわかったな。
ユルユルながらも継続してきたものを、
悪しき停滞ととらえて急激に変えたがる人、
明らかに変化しているものに対して、
意固地になって原型を押し止めようとする人、
いつの時代どの国にも一定数いるじゃんね。
とにかく脳!
人類が気づかないと思って、
お前の満たされない承認のホコ先を、
神や功名心や思想やSNSの「いいね!」に、
こっそりスライドさせるな。人類の行動が、
どうにも代わり映えしないのはお前のせいだ。
脳!
満足できない脳!
満足できるかな。できない!!
脳!
それでも俺は毎日が楽しい。
家で皿洗いをしている時も楽しい。
手を無心で動かすのが楽しい。
アトリエの草をむしり、防草シートを敷き、
息子の空手に付き合い、学習ノートと向き合い、
木を削って鬼滅の刀を作り、毎日が楽しい。
誰かに「俺が俺が」と主張することもなく、
ただ木を削る感触にだけピントが合っていて、
「これでいいんだな」と思えてくる瞬間が、
何より楽しい。
10代から20代にかけて、
頭の中にモヤモヤとただよっていた、
文化的でほの暗いムードのようなものは、
とうの昔に捨てた。
今は、空っぽ。
頭の中にも家の中にも、ほとんど物がない。
ゲームもテレビもジュースもおやつも、
脳が喜ぶ嗜好品の類は何一つ置いていない。
それでも、
息子の友達は毎日ワラワラ押しかけてくる。
そして皆で部屋中ドタバタ駆けまわり、
「ほんとこの家、何にもないよねー!」
って喜んでいる。
by kan328328
| 2021-02-01 01:21
| 日常