こちらあみ子・こちらスミコ
2021年 06月 06日

多摩美の彫刻科1年生だった20歳の頃、
俺は絵本創作研究会というサークルに所属しており、自作の絵本を発表しまくっていた。
その3作目に「こちらスミコ」という絵本がある。
制作したのは2002年。
「主人公は知恵遅れの女子小学生・スミコ。
彼女の家庭はとうに崩壊しており、
母はスミコを見捨て、新しい男の元へと走った。
スミコは独りでスパイごっこをしながら、時おり、
腕時計型トランシーバーに話しかけ(るフリをして)
この世には存在しない者と交信する」
という内容。
俺が描いた絵本は全部で十数冊程度だったけど、
都心の老舗ギャラリー、多摩美の学内展、
オープンキャンパスなどで毎年何度も展示をし、
自分で言うのも何だけど、かなり好評を博した。
感想ノートを開けば、そこには学内・外を問わず、
読んでくれた人からの熱い長文が寄せられていた。

こないだ何げなく本屋に立ち寄ったら、
「こちらあみ子」という本がズラリと並んでいた。
2010年に発表されるや否や三島由紀夫賞を受賞し、
今年の夏には映画化までされるという。
「へえ、俺も昔そんなタイトルの絵本を描いたな」
と思い、
アマゾンでその本のレビューを見てみると、
「知恵遅れの女子小学生・あみ子の言動が、
少しずつ家庭崩壊を招いていくストーリー。
あみ子はこの世にはいない誰かと交信するため、
壊れたトランシーバーに話しかける」
といった内容が書かれてあった。
「ん?」
となった俺はKindleで「こちらあみ子」
をダウンロードして読んでみたところ、
自分が描いた「こちらスミコ」との類似点が、
いくつか見つかった。

◯主人公の名前が似ている点(スミコ・あみ子)
◯どちらも知恵遅れの女子小学生という設定
◯主人公の背景にある家庭崩壊
◯どちらも「スパイごっこ」が好きな点
◯恋する少年による熱視線の描写
◯壊れたトランシーバーという重要アイテム。
◯「こちらあみ子」「こちらスミコ」という、
一文字違いのタイトル

うーむ。
ここまで要所要所が似ていると、
「もしやパクられたのでは・・・?」
いくつか見つかった。

◯どちらも知恵遅れの女子小学生という設定
◯主人公の背景にある家庭崩壊
◯どちらも「スパイごっこ」が好きな点
◯恋する少年による熱視線の描写
◯壊れたトランシーバーという重要アイテム。
(または腕時計型トランシーバーのふり)
○この世に存在しない者と交信する描写
一文字違いのタイトル

ここまで要所要所が似ていると、
「もしやパクられたのでは・・・?」
という疑念が浮かんでくる。
で、こういうモヤモヤを圧縮させ続けた結果、
人は京アニ放火事件の犯人みたくなるのか、
とりあえず客観的な意見が聞きたいと思い、
学生当時同じ絵本研究会に所属していた、
美術作家の関口光太郎くんに電話をかけた。
すると彼は、
「縁もゆかりもない作家が同時期に、
同じインスピレーションを得ることがあるよ」
と話してくれた。

それ、なんか聞いたことある。
アカシックレコードだっけか・・・
あらゆる人類の記憶を保有する世界概念があって、
誰もがそこにアクセスできる、みたいな話。
同時期というには「こちらスミコ」の方が、
8年も早く制作されているのだけど、まあでも、
大阪出身だという「こちらあみ子」の著者が、
2002〜2006年の期間に上京してきて、
どこかの会場で俺の絵本を読んだ、
であれば俺はむしろ、
太宰治賞と三島由紀夫賞をW受賞した作家と、
かなり類似したインスピレーションを持っている、
ってことでムリやり納得することにした。
「誇りに思おう、そんで忘れてしまおう」と。

仮にもし、
どこかの会場でこの絵本を展示をしたならば、
すぐさま来場者から、
「これってもしや、あの小説の…パクリすか?」
と、訝しがられるに決まっているし、ヘタすると、
「映画化もされた人気小説をパクる元・多摩美生」
として、SNSで炎上するかもしれない。
もちろん、
2002年当時に「こちらスミコ」を読んでくれた、
大勢の友人・教授の署名と日付入りの感想ノートは、
今も大切に保管してある。なので本来であれば、
俺が躊躇することなど何もないのだ。
けども・・・

今後、
「こちらあみ子」が全国的に認知されていく中、
「こちらスミコ」をひっそりと展示したところで、
その物語・表現力・密度において比べるまでもなく、
スミコの方が色褪せてしまうに決まっている。
こういう不思議な逆転現象に見舞われたとき、
俺は自分の作家としての無力さをつくづく痛感し、
同時に、胸に手を当ててよくよく問うてみたなら、
「因果応報」という言葉も浮かび上がってくる。
そう、因果応報なのだ。
そもそも「作品が似てる」とか「似てない」とか、
そんなこと言える立場じゃない、俺は。

思えば大学1年のころ、
俺が描いた絵本の1作目と2作目は、明らかに、
あこがれの絵本作家である長谷川集平さんの作風に、
タッチも文章もモロに影響を受けていた。
結局その二冊は封印するようになったけども。
めぐりめぐって、
その悪果を今こうして収穫しているのだとすれば、
さしずめスミコは、作家の罪を一身に背負った、
贖罪の山羊といえるかもしれない…なんて。
ごめん、スミコ。
君はこれからも日の目を見ることなく、
押し入れの中で静かに眠り続けることだろう。
君の方が8年先に産まれたこと、これは事実だ。
で、こういうモヤモヤを圧縮させ続けた結果、
人は京アニ放火事件の犯人みたくなるのか、
と思うと、ゾッとした。
自分もまたかなり自意識過剰な面があるため、
これもただの気にしすぎなのかもしれない。とりあえず客観的な意見が聞きたいと思い、
学生当時同じ絵本研究会に所属していた、
美術作家の関口光太郎くんに電話をかけた。
すると彼は、
「縁もゆかりもない作家が同時期に、
同じインスピレーションを得ることがあるよ」
と話してくれた。

アカシックレコードだっけか・・・
あらゆる人類の記憶を保有する世界概念があって、
誰もがそこにアクセスできる、みたいな話。
同時期というには「こちらスミコ」の方が、
8年も早く制作されているのだけど、まあでも、
大阪出身だという「こちらあみ子」の著者が、
2002〜2006年の期間に上京してきて、
どこかの会場で俺の絵本を読んだ、
ってことは、あんまなさそう。
だからこれは多分、偶然の産物なのだろう。
であれば俺はむしろ、
太宰治賞と三島由紀夫賞をW受賞した作家と、
かなり類似したインスピレーションを持っている、
ってことでムリやり納得することにした。
「誇りに思おう、そんで忘れてしまおう」と。

ただ、一つだけ心残りがある。
それは、俺が描いた「こちらスミコ」の方は、
今後どこにも展示する事はできないだろうな、ということだ。
どこかの会場でこの絵本を展示をしたならば、
すぐさま来場者から、
「これってもしや、あの小説の…パクリすか?」
と、訝しがられるに決まっているし、ヘタすると、
「映画化もされた人気小説をパクる元・多摩美生」
として、SNSで炎上するかもしれない。
もちろん、
2002年当時に「こちらスミコ」を読んでくれた、
大勢の友人・教授の署名と日付入りの感想ノートは、
今も大切に保管してある。なので本来であれば、
俺が躊躇することなど何もないのだ。
けども・・・

「こちらあみ子」が全国的に認知されていく中、
「こちらスミコ」をひっそりと展示したところで、
その物語・表現力・密度において比べるまでもなく、
スミコの方が色褪せてしまうに決まっている。
こういう不思議な逆転現象に見舞われたとき、
俺は自分の作家としての無力さをつくづく痛感し、
同時に、胸に手を当ててよくよく問うてみたなら、
「因果応報」という言葉も浮かび上がってくる。
そう、因果応報なのだ。
そもそも「作品が似てる」とか「似てない」とか、
そんなこと言える立場じゃない、俺は。

俺が描いた絵本の1作目と2作目は、明らかに、
あこがれの絵本作家である長谷川集平さんの作風に、
タッチも文章もモロに影響を受けていた。
結局その二冊は封印するようになったけども。
めぐりめぐって、
その悪果を今こうして収穫しているのだとすれば、
さしずめスミコは、作家の罪を一身に背負った、
贖罪の山羊といえるかもしれない…なんて。
ごめん、スミコ。
君はこれからも日の目を見ることなく、
押し入れの中で静かに眠り続けることだろう。
君の方が8年先に産まれたこと、これは事実だ。
しかしいかんせん、相手が良くなかった。
くやしいことに「こちらあみ子」は、
まごうことなき名作なのだ。
by kan328328
| 2021-06-06 10:12
| アート