釣れないそブリ

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息子が釣り狂になってしまい、口を開けば釣りの話しかしない。
小学校から帰ってくると、まっ先に釣り竿をつかんでリールを巻く練習をするか、Youtubeで釣り動画を観るか、キラキラ光るルアーをケースに移し替えてはうれしそうに眺めている。あの様子だと、大人しく宿題をしているように見える時も、頭の中ではコッソリと釣り糸を垂らしているに違いない。とにかく脳の99.9%くらいを釣りに占拠されてしまい、残りの0.1%でかろうじて人間をやっているように見える。好きなものに対する尋常じゃない入れ込みっぷりは、完全に父親ゆずりだと思う。

自分は昔から読書、音楽、映画、アートといったカルチャーに全情熱を注ぎつづけてきた反面、世界と直に触れあうような自然体験をあまりしてこなかった。でも子供が生まれてからは少しずつアウトドアな趣味が開眼していき、ここ数年は森でつかまえてきた様々な昆虫を飼育しては卵から孵化させたり、用水路の上からコブナを釣ったり、山の夜気に満たされたテントの中で眠りについたりと、どんどん活動がアクティブになってきている。こうした経験の一つ一つが毎回新鮮で、まるで幼年時代を一から体験し直しているような感覚になる。そして「今までどれだけ世界を限定的に見ていたんだろう…」と、観念的すぎた青年時代をふり返ってはゾッとするのだった。

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そんなわけで、毎週土曜は朝から息子と釣りに行くのが習慣になった。週6で絶え間なく労働している自分にとって、土曜日というのはとても貴重な休日(というか制作時間。俺は美術作家だ)である。それでも、息子と二人で過ごす時間は何より大切なので、もはやミンチのように細切れになってしまったスキマ時間を何とかかき集めては制作日を確保しつつ、とにかく土曜の俺は100%釣り師に徹することに決めたのだった。こうして、世界一ヘタクソな釣り師がここに誕生した。

ぜんぜん釣れないのである。いつも魚にそっぽ向かれるのである。
眼下に広がる川面にはウヨウヨと魚影がただよい、横にいる息子はカワムツやらフナやら何匹も釣り上げているのに、俺の釣り針にはなかなか食い付かない。口先でエサを突つくだけで、お魚さんたちすぐにいなくなってしまう。俺は「何でこんなに釣れないんだろう」と考え、この体から発せられている邪念が原因なんじゃないかと思った。邪念というか「釣れろー!」みたいな我欲みたいなもの。

自分が釣りをしている時の状態を思い返すと、たいていエサ針のあたりに熱い視線をそそいで「来い!来い!釣れろ!釣れろーーー!!」と頭の中で念じてしまっている。その濃厚すぎる欲望が、電気のように釣り竿を通して魚たちへと伝わるのかもしれない。なるべく平常心を心がけていても、ちょっとウキが反応すると「来たー!!」とたちまち我欲が湧き起こる。すると魚たちがキモがって逃げ出す。そのくり返しです。

そういえば10年くらい前に訪問介助へ出向いたとき、そこのご家族でまだ一度も会話したことのないおじいさんから突然「あんたは我(が)が強すぎるよ!」と言われてショックを受けたことがあるけど、あれも同じようなことかもしれない。魚であれ、ご老人であれ、人が他者と対峙するときにまず問題になってくるのが「我」なのだ。

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ほとんど接点がなかったおじいさんにすら「我が強い!」と太鼓判を押されちゃう自分ではある。それでも、俺としてはただ懸命に生きてきただけだし、ことさら人の前で我を立ててきたような自覚もない。むしろ相手によっては限りなく透明になっている時すらある。
たとえば奥さんの実家には猫が4匹いるけど、奥さんは猫のことが大好き過ぎて、すぐにつかまえたり頬ずりしたりするもんだから、毎回猫たちは嫌がって逃げてしまう。でも、動物全般にさほど関心のない(かわいいとは思うけど)自分がソファに寝そべって本を読んでいたりすると、猫らがワラワラと集まってきて俺の肩やらお腹やらに乗っかってくる。この摩訶不思議な力学よ。

聖書によると我々の祖先は、自我を持ったことが原罪となって楽園から追放されたらしい。また、自我なんて存在しないことに気がつくのが真の仏道らしい。それならば、世界と自分とが未分化な人間のそばに生物たちが寄ってくるのは至極当然に思えてくるし、まだ9歳である息子の釣り針の方に魚たちが引き寄せられてしまうのも納得できる。そしてこんなメンドくさいことをグルグル考えている限り、いつまでたっても俺の釣り針には魚がかからない気がする。

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それにしても、この魚たちの「釣れないそブリ」というか、こちらとぜんぜん交わってくれない感じが、またいい。何度でも挑みたくなる。
毎回川に行くたびに想定外のことが起こるのも楽しみの一つだ(今までは、ふいに雨が降ってきたり、巨大ウナギが水面をヌラヌラと横切ったり、アカミミガメの集団が寄ってきたり、かと思えば生命の気配が突然しなくなったり、土手にギターを持った少女が現れてカネコアヤノを歌い始めたりした)。何より、息子と共通の趣味を持てたことが一番うれしい。

今日も始発の電車に乗って、日野までバス釣りに行ってきます。

by kan328328 | 2022-10-01 01:00 | 釣り

美術作家・三宅感のブログです


by kan miyake
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