その後

デジスタ出演時、僕は身長2m80の巨大な天照大神に扮装し、引きこもる用のテント(岩戸代わり)まで作って持って行ったのですが、テントが多き過ぎてスタジオ内に入らず。やむなく神様だけの入場となりました。でも、作品が選ばれなかったのでテレビにもろくに映りませんでした。悔しいなあ。
オンエア中、僕はかなり巨大だったため、椅子にすら一人でろくに座れず、スタッフの方に手伝ってもらう始末でした。春先のぎっくり腰出演に懲りず、また迷惑をかけてしまいました。本当ごめんなさい……。
作品の内容と関係ない演出ってのは、ダメな事だろうか?
自分の誠意の表し方が、いつも人と食い違います。僕はバカですか。
でもやっぱりこれからも自分は、群衆の中に入った時には常に、道化の役回りでいたいな!と思いました。去勢された犬でもないのに、自分のナイーブさを堂々とさらけ出すなんて出来ない!
繊細な男か。大学にわんさといたな。みんな自己顕示欲と鬱病を行ったり来たりで、モテるんだ、そうゆうタイプがまた。
自分は人に迷惑をかけない道化になるよう、努力します。
話は戻りますが、出演者の中で一人、全て手描きのアニメーションを出している人がいて、モニターでチラッとしか紹介されなかったのですが、相当枚数描いてる様で、苦労して作った物ってのは、どうしてこうも胸に迫ってくるんだろう、と感心しました。そうゆうアナログの味は置き去りに、アーーートはこれからもデジタル街道まっしぐらなのか。いってらっしゃい。
うん……何だか、無性にマラソンしたい気分。でも喘息起きるからしない。

マヤ・デレンの三番目の旦那さん、イトウテイジのCDを借りました。
とても良いです。侘び寂びな雰囲気を持ちつつも、国籍不詳な音楽です。
こうゆう、真っ昼間の白い町並から人の影が出たり、消えたりするどこか不穏な気配。良いですね。半分死んでる感じがしますね。
キリコの絵画。ベルイマンの「沈黙」。芥川の「蜃気楼」。つげ義春の「コマツ岬の生活」。早川義夫の「かっこいいことは…」。植田正治の写真…etc。
こういう絵画、映画、小説、漫画、音楽、写真は、媒体は違えど、どれも根底には、無言の詩が流れている気がします。作ってる本人は、むぅ…と押し黙ったままで、日常空間をぐんにゃり捩じ曲げようとしている。周りのみんなが、気付くか気付かないか程度の、ささやかなぐんにゃり。みんな、詩心に鍛えられているんだな。
見えないものを見ようとするのは、感じようとするのは、信じようとするのは、労力いると思います。人間だから、一般生活も同時に送らなくちゃいけないし。まして、見た目のインパクトや話題性といった「押し」の力には頼らずに、雰囲気、余韻、気配とかの「引き」の力だけで見せようとするのは、勇気があるな。見落とされるかも知れないのに。
芸術家って……。
その後_d0108041_7503187.jpg

by kan328328 | 2007-12-13 09:25 | 日常

美術作家・三宅感のブログです


by kan miyake
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